持ち時間入札制の是非

2004年度のプロ対局全体で先手勝率が5割5分4厘という高水準になったことで、何か対策が必要だという声が高まってきました。このような数字に関して将棋界で一番信頼がおけるのは、週刊将棋鈴木宏彦氏のコラム「いま、将棋界の話題 先手5割5分4厘の衝撃」だと思います。この連載ではいくつかの数字を紹介した上で、2005年12月28日・2006年1月4日合併号で「持ち時間入札制」を提案しています。この制度について少し考えてみます。

その前に、プロ対局における先手勝率について前提となることを書く必要があるでしょう。将棋の平均的な先手勝率はいくつかの条件で変化すると言われています。

  • 1. 将棋のレベルが高いほど、先手勝率が高くなる。
  • 2. 持ち時間が長いほど、先手勝率が高くなる。
  • 3. 対局前に手番が決められていると、先手勝率が高くなる。

先手の方が後手よりも有利であるという点についてはほとんどの人が同意すると思われます。問題はどの程度有利なのかという部分にあります。1つ目は、先手の有利さを生かすには実力が高い方がいいだろうという推測に基づいています。2つ目も同じ意味。3つ目は、対局前から手番の決まっている順位戦などの対局では事前に作戦を練ることができるため、振り駒で決まる対局よりも先手の有利さを生かしやすいということです。

ただし、実際にそのような傾向がデータに表れているかどうかはきちんと確かめられていません。鈴木氏のコラムでもいくつかのデータが示されていますが、まだ不十分だと思います。ここ10年くらいの全対局のデータがあれば、統計的に意味のある検証が十分に可能なサンプル数が得られると思いますので、一度きちんとした方法で確かめてから議論するのが望ましいというのが私の考えです。

そのようなことはあるのですが、森内俊之名人が次のようにコメントしていることもあり、ここでは上の3つの傾向が実際にあるとした上で話を進めます。

「先手の有利さは当然ながら、持ち時間が長い方が生かしやすい。そういう意味で、タイトル戦や順位戦の先手勝率が高いのは当然ともいえる。タイトル戦の第2局以降*1、あるいは順位戦の場合は前もって先後が決まっているので、先手側の棋士はより作戦を立てやすいという利点もある。もちろん後手側の棋士も作戦を立てることはできるが、後手は研究すればするほど苦しさを確認することにもなりかねない。」

先後の差を縮小するために、千日手を引き分けではなく後手勝ちにするという提案もありましたが、「これは以前何人かの棋士に話したことがあるが、『それでは将棋の質が変わってしまう』という声が多かった。」ということです。私もその声に賛成です。

将棋は囲碁と違って、わずかな差の勝ちと大差の勝ちを区別する数値的な基準がありません。そうすると、対局でいじれる場所は持ち時間くらいしか残されていないことがわかります。つまり、先手の持ち時間を後手よりも短くしてハンデを付けようということです。問題はどの程度の時間差を付けたらよいのか。なかなか難しい問題です。

そこで、鈴木氏が提案した「持ち時間入札制」が出てきます。これは次のような方式です。

対局前に双方の棋士が、「希望の先手持ち時間」を紙に書いて出すのだ。例えば持ち時間6時間の順位戦なら、「先手が得られるなら持ち時間は5時間でもいい」と紙に書いて出す。示した持ち時間がより少ないほうが、実際にその持ち時間で先手を持って指すのである。

細かいことですが、持ち時間が長い方が質の高い対局になるとするなら、単純に先手の持ち時間を減らすのではなく、先手から減らした分だけ後手の持ち時間を増やして持ち時間の合計は変えないようにした方がいいのではないかと思います。そのようにした場合、以下の記述では減らす時間をおよそ半分にすることになるでしょう。

さて、鈴木氏の提案に対して週刊将棋1月18日号の同コラムで数名の棋士の感想が書かれています。記事に登場する順序とは前後しますが、森内名人は持ち時間が5・6時間の将棋で3・40分減らすのが限度、谷川浩司九段は先手が持ち時間を1割減らすくらいではないかという意見です。1割が長いのか短いのかわかりませんが、結構具体的なイメージがあるものなんですね。

この提案そのものに対する賛否は別にして、持ち時間の差が勝率にどのような影響を与えるかは興味深いところです。囲碁でも検討されたことはないだろうと思いますし、実際にやってみたらどうなるのか見てみたい気がします。

次に、中川大輔七段は「プロなら後手でも指せるんだという誇りを持ちたい」、木村一基七段は「プロなら、1手くらい遅れても力でねじ伏せてやると言うべき。自分はうそでもそう言っていたい」ということで、1分も減らさずに書くそうです。これはこれでありな意見ですが、持ち時間の増減が勝率にどのような影響を与えるかについての見解が聞けなかったのは残念です。もちろん後手でも勝たなければ上には行けないわけですが、相手もプロですから、1手先に指すのに負けてはいけないと言うこともまたできるわけで、ものは言い様という感じもします。

最後に、鈴木大介八段は「まず相手の顔を見ますね。どうしても先手が欲しい相手だったら、かなり減らして書くかもしれない」という話。先手がほしそうな顔がわかるのかというのはおくとして、これは一つの重要な示唆を与えてくれていると思います。

はじめに掲げた3つの要素のうちの3つ目。つまり、この制度ではある程度狙って手番を獲得できますから、振り駒で手番を決めるよりも、あらかじめ手番が決められている対局に近い要素が入ってくるわけです。したがって、振り駒の対局で持ち時間に差をつけるときよりも多めに差をつける必要があると考えられます。事前の作戦がより重要になってくると言えるでしょう。

私の意見では、先後の勝率差を詰めるという意味においてこの制度にそれほど賛成ではありません。しかし、持ち時間に差のある対局でどの程度勝率に影響が出るかはかなり興味深いので、非公式戦でいいので見てみたいと思います。週将で一度やってくれないでしょうかね。本当に。

今年度の先手勝率は12月までの段階で5割3分9厘と、昨年度ほどは高くないそうですが、もし今後先手勝率がさらに上昇していくことになったとき、現在の振り駒制度では不公平感が大きくなりすぎることが考えられます。そうなったら、森内名人のコメントにあるように「先後の不公平をなくすには、リーグ戦で先後ワンセット2局の対局方式にするのがベスト」だと思います。王将戦リーグあたりで導入できないでしょうか。

持ち時間を半分以下にして一日2局こなすとかもいいと思います。ネット中継で稼ぐ場合には、持ち時間が短い方が有利だと思いますし。

*1:筆者注:最終戦(七番勝負なら第7局、五番勝負なら第5局)を除く。