女流棋士独立問題 39名が日本将棋連盟に残留 他

日本経済新聞の記事(4月23日)

日本経済新聞4月23日付夕刊に「勝利女流棋士分裂 連盟から独立のはずが…参加は1/4」という見出しの記事が掲載されました。これまでの流れが解説されています。締めくくりの次のような言葉に意見が出ていますが、私も賛成です。

独立組へ厳しい処分を求める声も連盟内にはあるが、混迷が続くとファン離れが加速するだけだ。事態が収まれば、日本棋院関西棋院が併存する囲碁界と同じく女流将棋界も二団体併存となるだろう。二つの団体が棋戦の企画や普及イベントなどで知恵を競い、頭打ち傾向の将棋人気を盛り返す力になる道は残されていないのだろうか。

39名が日本将棋連盟に残留(4月24日)

4月24日に日本将棋連盟理事会の公式発表があり、4月23日現在で日本将棋連盟への残留希望を表明した女流棋士39名の名簿が公開されました。

日本将棋連盟理事会の公式発表文書はいつもと違うトーンが感じられます。こういう米長邦雄の家のような文章は独特なので初めて目にする人は戸惑うかもしれません。(といっても、米長邦雄永世棋聖がどの程度書いたのかはわかりませんが。)

文書中には事情の説明も含まれ、このように形式を整えてちゃんと説明しようという姿勢は好ましいものと言えます。それはぜひ続けていってほしいと思います。

ただし、米長邦雄永世棋聖さわやか日記で姿勢に疑問を感じさせるような記述があったのは残念でした。一つは4月25日(水)17時26分36秒付の次のような文章です。

会見は一分足らずです。

その後に、この2週間の出来事を話しました。これは当日参加した人だけで、この急所の部分のみの5枚の紙は連盟のHPには載せておりません。

つまり、女流棋士独立問題に関しては「急所の部分」が欠落した不完全な文書であると言っているわけです。公開したものの信頼性を落とすような発言をわざわざ行う意味がわかりません。

もう一つは、4月26日(木)17時48分50秒付の「日本将棋連盟のHPの記載は正しく、女流棋士独立につきましては全て決着しました」という記述です。何のために文書を出しているのかという認識に疑問を感じます。

何とために公式文書を出すのかといえば、この場合は日本将棋連盟理事会の立場を一般の人に理解してもらうことです。そのためには記載内容が正しいことは大前提で、その上で、内容の取捨選択が適切か、記述はわかりやすく書かれているかなどが評価の対象となります。

正しさに関して言うと、次の部分に疑問を感じました。

平成18年12月1日に突然女流棋士新法人設立準備委員会が立ち上りました。 会長個人も、理事全員誰もが知らなかったことは事実です。「事前に指導をいただいている」との談話もありますが、少なくとも平成18年4月1日以降8ヶ月間は没交渉でした。

没交渉」というと、独立の話がなかったというよりもかなり強い意味になります。本当に理事会と女流棋士会の間に長期間にわたって関わりがなかったとすれば、コミュニケーション不全を放置していたということになりますが、実際には2006年4月14日の女流棋士会臨時総会に米長邦雄永世棋聖も出席しているので、そういうことはないのだろうと思います。

それから、日本将棋連盟の会計について「ごく短期間で健全財政になると信じています」というのはどうかと思いました。それなりの規模の法人であれば、事業計画に基づいて何年間で黒字化の目標があるというような反論が通常はできるのでしょうけども、これだと「私はそうならないと信じています」と言われたときに反論できなくなってしまいます。これについては、会計書類をネット上で公開して判断してもらう方向性がよいと思われます。

女流棋士個人の感想

ブログを持っている女流棋士がこの件について書いていることがあります。網羅していませんが3つほどリンクしておきます。

私は高橋和女流三段の指摘が重要だと考えます。2006年12月1日の女流棋士会総会での決議文がどのようなものだったのか正確に伝わっていませんが、独立の方針を貫くにしても破棄するにしても、総会の決議を経る必要があったのではないかと推測しています。結局それ以後女流棋士会総会は開催されていないと思いますが、この件に関しては筋が通っていないと考えています。

根底には、女流棋士会って、女流棋士って何なのという問題があるのは確かなのですが……。

将棋世界森下卓九段の手記

将棋世界6月号に「森下理事が見た女流独立問題」と題する3ページの文章が掲載されました。日本将棋連盟理事の森下卓九段の手記です。上で取り上げた公式発表もそうですが、積極的に説明をしようとする姿勢は特に評価したいと思います。

ざっと読んだだけなので手短に感想を書きます。当該期間中に入院していた時期のある森下九段を起用することを疑問視する意見もあるかと思いますが、それでも私は森下九段で良かったと思います。内容個別の賛否はもちろんあるとしても、何を言おうとしているか理解できるという点で森下九段は適任だったと感じました。

ページ数の制約もあって不明なことも残されています。その点についてはこれから徐々に明らかになった来ることを期待したいと思います。