数学者岡潔と将棋

共同通信社の企画ページ。昨年4月の記事です。

記事の趣旨は、様々な国の将棋とかコンピュータ将棋とかのよく聞く話ですが、数学者の岡潔のエピソードは私にとって初耳でした。(ここで触れられている古典詰将棋詰将棋博物館に展示されています。)

「江戸の文化は宗看、看寿の存在だけでも世界に誇れる」。数学者で将棋愛好家だった岡潔が残した言葉だ。多変数解析関数論で世界的に知られた岡は宗看、看寿の才能を絶賛した一人だった。

たしかに、無双、図巧賛@将棋パイナップルの10番目の書き込みにも岡潔氏の文章が掲載されています。

調べてみると、岡潔米長邦雄永世棋聖と親交があったようで、他にも将棋に関わるエピソードを残しているそうですね。例えば、次のような話が残っています。

米長九段の語る岡潔のエピソードを書いておこう。米長九段は若い頃,岡潔の講演会が開かれるのを知り,出かけて行ったのであるが,なんと講師が現れなかった。そこで,プロ棋士が講演会場に聞きにきているということで,主催者は急遽 米長さんにピンチヒッターをお願いし,代わりに将棋の話をしてそこは無事におさまった。後日,そのことを知った岡潔は米長さんを自宅に招き,なんとそこで講演で話すはずだった話を初めから終わりまで,米長さんを相手にしたということである。そのお礼として,米長さんは岡潔を次の名人戦に招待したそうである。 大山ー中原戦であった。両名人の対局を観戦し,なにか感にうたれたのか,岡潔は庭へ出るとおもむろに地面に何かを書き始めた。後ろからのぞいてみるとそれは数式であった。米長さんは写真に撮っておけばよかったと言っている。

将棋とは関係なくなってしまいますが、講演会に来なかった理由がまた変わっていました。

何故岡先生が当日いらっしゃらなかったかというと、 <私は”京都駅の降りたホームで待っていてくれ”と言われた。だから奈良から近鉄線で京都に出て、近鉄線のホームで一時間待っていた。主催者側の人が国鉄の京都駅を探しているであろうことは察しがついていた。しかし私は”降りたホームで”といわれていた。間違えていたのは主催者側だ。正しい方が修正して間違っている方に合わせる、ということはあってはならないことです。間違っている方が正しい方にあわせて修正しなくてはなりません。だから私は近鉄のホームで一時間待って、それで家に帰りました。>と。