日本将棋連盟による「棋譜の著作権」の主張について

の続きです。

今回の動画削除に関して、将棋関連動画を削除することが将棋界においてどのような意味を持つのか、という点と、それに伴う権利の主張が正当かどうかという2つの問題が考えられます。より重要なのは前者だと思いますが、今日は後者に関連して、私が以前から関心を持っている「棋譜著作権」に関する話題について書きます。前者についても、後日書きたいと思います。

棋戦ごとの違い

2ちゃんねるの書き込みで指摘があって気づいたのですが、削除された動画が扱っていたどの棋戦の棋譜だったかによって、削除され具合に明らかな差が見られます。具体的には、名人戦順位戦王位戦女流王位戦が目立ち、残りは非公式対局((将棋) 羽生善治×渡辺明 (次の一手名人戦) 前編郷田真隆 × 三浦弘行 (解説:藤井猛) 1/3など)が主です。名人戦順位戦が多いのは、名人戦七番勝負とA級順位戦最終節がNHKBSで生中継されるため素材が多いことから自然ですが、王位戦も目立つ理由はよくわかりません。そして、竜王戦NHK杯戦関係の動画で日本将棋連盟の申し立てによって削除されたものは、私が検索して探した範囲では見あたりませんでした。また、それ以外の棋戦についてはきちんと調べていませんが、見ない印象です。

このことから、動画削除を申し立てた人は、明らかに棋譜によって態度を変えていると考えられます。ただ、単なる棋士紹介の動画なども削除されていることから、特定の棋戦に関するものだけを狙い撃ちにするのが目的だったのか、ほかの棋戦はこれからということなのか、釈然としないところがあります。

特に、棋譜と著作権についていくつか(続)で紹介したように、2011年3月に「棋譜著作権」を否定する内容の記事が毎日新聞に掲載されたことをふまえると、毎日新聞が主催社である名人戦順位戦について、あえて「棋譜著作権」を行使してくる理由が私にはわかりません。しかしいずれにしても、棋譜を自分の手で並べただけでプロ棋士の映像を利用しない動画のように、「棋譜著作権」がなければ削除を申し立てられないようなものまで対象になっていることから、削除を申し立てた人は「棋譜著作権」に訴える何かしらの理由があったのでしょう。

日本将棋連盟のこれまでの態度

日本将棋連盟が公式サイト(shogi.or.jpドメイン上)で「棋譜著作権」について言及したことはこれまで一度もありません。その他の対応については、wikipediaの記述が妥当だと思います。(今回の削除がすでに書き加えられました。)

日本将棋連盟は、過去には法的根拠は無い(棋譜著作権は無い)とした上で、収入問題に発展しかねないので頒布を控えてほしいとの「お願い」をネットコミュニティに対して行っていた[9]が、最近では、棋譜著作権ありとして、許諾を得ない掲載や転載を禁じているケースもあり[10]、必ずしもスタンスは一定していない。一時、江戸時代の棋譜著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。2012年2月現在、ニコニコ動画に於いては現役故人を問わず日本将棋連盟所属棋士棋譜著作権を主張し、棋譜機械的に再生した動画を削除させている。

一般的に考えると、「棋譜著作権」については、大きく分けて次の4通りの態度が考えられると思います。

  • 1. 棋譜は著作物でないと認める。
  • 2. 棋譜の著作物性について、あいまいな態度を取る。
  • 3. 棋譜は著作物であると明確に主張するが、権利行使(動画削除を求めるなど)は原則としてしない。
  • 4. 棋譜は著作物であることを前提に、権利を行使する。

日本将棋連盟はこれまで2.の態度を取ってきました。(ちなみに、囲碁の日本棋院は3.です。)このことは、米長邦雄永世棋聖(現 日本将棋連盟会長)が2002年に『近代将棋』2002年7月号で次のように書いたことにも表れています。

棋戦の期間中ほぼ一年間は主催紙に総ての権利があり、それから後は日本将棋連盟と主催紙が共有です。この場合の権利という意味は、あくまでも独占掲載権であって、それが即ち著作権なのかどうかはわかりません。将棋界はそれで良いのであって、少々いい加減の処があります。

最近では、2010年9月28日に西尾明六段がtwitterでつぎのようなつぶやきを残しています。

プロの棋譜であればそうなるんですかね。でも、かなりうやむやな気がします。"@yuusaku_takamu: @nishio1979 著作権はスポンサー&連盟?でしょうか。"

@miyamotometi もちろん指し手に著作権はありません。ただ、新聞掲載以前の棋譜等には敏感なところもあります。

あ、つまり指し手の著作権はないですが、棋戦や対局者を明記した棋譜全体に著作権が存在する可能性は考えてよいと思います。ちなみに対局の翌日に全棋譜をつぶやいたら、あとで怒られそうですw

つまり、プロ棋士の間でも著作権についてどのようになっているのか、確固とした認識があるわけではなく、なんとなくあいまいなまま現在に至るというところだと思われます。

棋譜著作権」をめぐる趨勢

下記の2つの記事でも記したとおり、私は棋譜が著作物と認められる可能性はあると考えていますが、同時にその可能性は高くないとも思っています。特に、渋谷達紀『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』の出版以降は、棋譜の著作物性を積極的に肯定する見解が弁護士などの専門家から出たのを見たことがありません。

そのような情勢を今回申し立てを行った人が理解していたとすれば、今回削除された動画をアップロードした人が裁判に訴えることによって、棋譜の著作物性を否定する判例が生まれる可能性を視野に入れているはずです。日本棋院のように上の3.の態度で止まっていれば、紛争にならないので判例が出ることもありませんが、一気に4.に移行することによってそのような可能性を生じてしまっているわけです。

日本将棋連盟が2.の態度を取ることは、将棋ファンから見ると、「棋譜著作権」を恐れる心理がある中で、それほど気にしない人によってそれなりの規模で棋譜が利用されるという状況です。このように、長年かけて育ってきた微妙なバランスが、今回の削除によって壊れる可能性があります。どちらに転ぶかわかりませんが。

棋譜の部分的利用

そんなわけで、棋譜の著作物性はあるかもしれないしないかもしれないという状況ですが、もし「ある」と仮定したときに、今回の申し立てにどのような問題があったのかを考えてみます。論点はいくつか考えられますが、私がもっとも問題と考えているのは棋譜の部分的利用に関するものです。

今回削除された動画には、名人戦などの対局を部分的に切り取ったものが多く含まれています。このような動画を「棋譜著作権」を理由に削除するということは、たとえ棋譜を一部しかコピーしていなくても著作権侵害であると主張していることになります。これは受け入れがたい主張です。

棋譜がまるごと再現されることは、現実的に見て、過去の棋譜を複製されることとほぼ同じといえます(依拠性の問題はありますが)。しかし、様々な場面で、部分的な棋譜が再生されることは珍しくありません。たとえば、大盤解説会でプロ棋士が過去に指された対局でこんな手順があったと述べたとすると、これは部分的な棋譜が再生されたことになります。したがって、棋譜の部分的利用が著作権侵害になるならば、そのような場合でもいちいち著作権者の許諾を得る必要があります。この結論に納得する人はいないでしょう。

今回の一連の削除では、指し手が映像に映っていれば「棋譜著作権」を理由に削除申し立てという安直なやり方がとられていましたが、これは棋譜の著作物性を肯定する立場の人から見ても許容されがたい手法だと考えます。棋譜の著作物性を肯定するにしても、ほぼ全局まるごと複製しない限り著作権侵害にならないという理屈がつくような論理構成を考えるべきです。

棋譜著作権」を主張する前にすべきこと

今回、日本将棋連盟は2.から4.に態度を変えました。たとえ、棋譜の著作物性が肯定されたとしても、この一足飛びの変更は性急すぎるといえます。

棋譜と著作権についていくつか(続)で紹介したように、日本棋院は「棋譜著作権」を主張するにあたって、日本棋院とプロ棋士との契約関係などの整備を進めました。上で引用した西尾六段のつぶやきを見ても、日本将棋連盟でそのような契約が行われた形跡はないと言ってよいと思います。今回の削除は「公益社団法人日本将棋連盟」の名義で行われましたが、何も契約がなければ著作権者は著作者である対局者です。日本将棋連盟著作権侵害を申し立てる立場にあったかどうか疑問です。

また、権利を主張するときは、同時に他者の権利を尊重する必要があります。今回削除された動画には、物故棋士や片方がアマチュアの対局も含まれていました。もし棋譜の著作物性を肯定するならば、日本将棋連盟に所属していないアマチュア棋士や、すでに逝去したプロ棋士の遺族などから、「棋譜著作権」に関する許諾を得る手続きを済まなければ棋譜が利用できません。本当にそのような手続きができていたのでしょうか。

以上のように、今回の動画の削除には多くの問題があります。下記の26日の西尾六段のつぶやきからも、日本将棋連盟内部でこの件に関する意志統一ができているのか非常に疑問であり、今回削除申し立てをした人の暴走に近いのではないかという疑いを持っています。

これ初耳。確かに対象が棋譜というのは変な感じ。確認してみよ"@redipsjp: プロの棋譜をソフトで再生した動画について,将棋連盟が「棋譜著作権侵害」を理由に削除を求めているらしいけど,無理筋ではないですかね。bit.ly/yUUNil"

有料コンテンツの棋譜をほぼリアルタイムで垂れ流されることがあれば取り締まるべきだと思うが。棋士も新聞に載る前の棋譜をネットなどで紹介する際には制限が掛かる。

ということで、「棋譜著作権」の行使に関する疑問点について書きました。それとは別個に、そもそも動画を削除する行為がどうなのかという論点も重要です。これについては後日書きたいと思います。

追記:さらに調べたところ、王座戦で削除された動画が見つかりました。

しかし、動画の説明文に「王位戦、最終局までもつれましたね。」という記述があることから、王位戦の対局と誤認された可能性もあります。

それから、前回の記事で「対象物: 将棋連盟所属棋士棋譜」という理由と「対象物: 棋譜」という理由の2種類がありその違いは不明と書きましたが、調べた範囲では、前者が名人戦順位戦など、後者が王位戦という区別になっているようです。2度にわけて申し立てをおこなった際に、別々の記述がなされたということかもしれません。