定跡書この10冊 『消えた戦法の謎』

私の気に入っている定跡書を10冊選んで紹介しようかなと思います。10冊の中では順位をつけるのは面倒なので、順不同の紹介ということで。

最初は、先日MYCOM将棋文庫で復刊された『消えた戦法の謎』(勝又清和毎日コミュニケーションズ)。1995年に同社から出版された本の文庫版です。この本は古本市場でもっとも入手が難しいものの一つでしたから、復刊を待ち望んでいた方も多かったでしょう。

文庫化にあたって第5章「消えた戦法のその後」16ページ分が加筆されました。復活したもの、相変わらず消えたままのものなどいろいろです。紙数の関係でどの戦形もさらっとしか触れられていませんが、やはり有用な文章です。

文庫版あとがきでは「勝つための役に立つ内容ではない」と書かれています。しかし「消えた戦法」であっても指してくる人はいることを考えると、たとえ出現率が低いとしても知っておくべき手順が多く載せられています。「消えた」というからには一度はよく指されたことがあったわけで、プロですら対策を編み出すのに時間を要した戦法に、知識なしに対抗できるはずがありません。この本は勝つために十分役立つ内容だと思います。

この本はもともと勝又五段が四段に昇段した当時に書かれました。著者が「徹夜しながら書いた全力投球の本」と述べているように、文章の端々から並々ならぬ労力が伝わってきます。棋譜を徹底して調べ、キーマンとなる棋士に取材し、文章を書く。当然といえば当然ですが、なかなかできないことです。私が定跡書を評価する基準の一つに、書き手がどれだけ苦労したかということがあります。書き手の努力は読者に伝わります。手抜きのある本はやはりそれなりにしか読まれません。その意味で、この本は十分に高い評価をすることができます。

もう一つこの本で特徴的なのは、他の本にはない視点で定跡を取り上げたことです。あえて過去の戦法を主題にするという構想を考えたのが誰なのかはわかりませんが、その人に敬意を表したいと思います。double crownさんが何度も指摘していますが、将棋界はその歴史に無頓着なままできているのが現状です。特に、定跡は常に研究されてきたにもかかわらず、それがどのように発展してきたのかはほとんど顧みられることなく捨て置かれてきました。『消えた戦法の謎』はこの「戦法史」とでも言うべき部分に一筋の光を当てる重要な仕事だったと思います。