名人戦契約問題についていろいろ(続)

日本将棋連盟から公式見解が出ました。

いわゆる情報公開とは違うと思いますが、このように見解を発表していくことはそれ自体意義のあることです。日付の入った文書は久しぶりに見たように思います。

朝日新聞の記事は日本将棋連盟の公式見解をほぼそのまま伝えています。朝日新聞社のこの淡々とした態度はこの問題が始まってから一貫しており、どう考えているのかは伝わってきません。というより、表に出さないようにしているということなのでしょう。

一方で、毎日新聞日本将棋連盟の見解に激しく反発し、社長室広報担当の話として「この文書は多くの点で事実と異なる」と表明しています。この紛争はまだ続きそうです。

このほかに本日も記事がいくつか出ています。以下のものはウェブ上で読めます。一昨日の名人戦・順位戦を毎日から朝日へ移籍 日本将棋連盟理事会方針にも同じリンクを追加しておきました。

毎日新聞のコラム「余録」は、昔の毎日新聞で将棋担当だった村松喬氏の著書を紹介し、毎日新聞社の正当性を主張しています。この村松氏は、1977年に名人戦が朝日から毎日に移動した際にも交渉に関わったようで、『将棋界の事件簿―現役プロ棋士の実話レポート』には、名人戦が宙に浮きかけた当時のこととして次のように紹介されています。

その頃、毎日側から名人戦契約の件で相談を受けたのが同社OBの村松喬さん。村松さんはかつて学芸部記者として名人戦王将戦本因坊戦などの将棋・囲碁欄を担当した。あの陣屋事件では担当記者として関わり、事の顛末を週刊誌に書いたこともあった。毎日退社後の当時は、教育評論家として活躍していた。

村松さんは「名人戦はどんな無理をしても毎日が引き受けるんだ。高い買い物をしても、紙面で効果を上げれば収支プラスになるのは目に見えている」と、毎日の幹部たちを熱心に説いたそうだ。将棋担当記者時代の昭和24年、毎日の幹部の将棋への無理解から名人戦契約が毎日から朝日に移るという、現場の者として非常に悔しい経験をした村松さんだけに、名人戦の毎日復帰に寄せる思いはなおさら強かったのだろう。

このような村松さんの陰の尽力や、大山が毎日の幹部とたびたび会って働きかけたことにより、毎日は名人戦を主催する意向を固めていった。

このように熱を持って名人戦を待望する人のおかげで棋戦が維持できているという面があるのでしょう。名人戦を失った悔しさは、30年程度では薄れないのかもしれません。

産経新聞も1面コラムの「産経抄」でこの問題を取り上げました。皮肉混じりの調子や脈略なく教育基本法が出てくるあたりが、らしい感じです。

▼ただし、五億を超すという額は本紙や毎日の読者は知っているが、朝日の紙面には「新たな契約条件を提示した」とあるだけ。契約金の原資となる購読料を払っている朝日読者には、いくらを提示したか知らされていない。「ジャーナリスト宣言。」をした新聞とは思えぬ秘密主義ではないか。

これは正論ではあるのですが、産経新聞主催の棋聖戦も契約金の額を公表していません。このコラムを書いた人は将棋担当ではなくてその事実を知らなかったのでしょうね。

このほか、ウェブ上では読めませんが、14日付の読売新聞朝刊の3面で社説の横の部分全体を使って大きく取り上げられました。西条耕一記者の記事です。

記事の内容はこれまでの経緯のまとめと将棋界の仕組みの説明が主ですが、いくつか新しい情報もありました。一つは、竜王戦の棋戦契約金の額が3億4150万円(消費税別)と公表されていることです。名人戦に対する朝日新聞社提案の額はこれを上回ります。昨日私は「純粋な棋戦契約金の額は竜王戦を越えないのかもしれません」と書いたのですが、これは全く見当はずれだったことになります。(そうなると、専務理事の西村一義九段が「竜王戦を最高棋戦とする方針に変わりない」とコメントしたのはどういうつもりだったのかということになりますが。)

記事の最後には、作家の団鬼六氏と英文学者の柳瀬尚紀氏のコメントも掲載されています。そして、右下の囲み部分では、次のように書かれています。

8人の理事全員一致で朝日への移管を決めた将棋連盟の理事会。一枚岩のように思われているが、「手続きが拙速だった」「毎日がここまで反発するとは思わなかった」という声も内部から出始めた。

「理事もプロ棋士なのに毎日の“反撃”という次の一手が読めなかったのか」と疑問に思う棋士は多い。

ただ単に読みが浅かったのだとすると、事態は相当深刻です。

それから、13日発売の週刊文春週刊新潮の記事も見ました。新潮の方が朝日批判のトーンが強いですが、書いてある内容はどちらもそれほど変わりません。文春の記事の見出しは「将棋『名人戦』が朝日へ 毎日に三行半を突きつけた中原誠」。「中原誠」を強調するのは文春だからかもしれません。

この記事は、毎日新聞の観堂編集局長のコメントを引きながら、交渉の経緯を紹介しています。渉外担当の中原誠永世十段は、3月31日と4月7日に説明のために毎日新聞社を訪れ、2度目に訪れた際には「7六歩(最初の一手)を指した以上、『待った』は出来ない」と話したそうです。

ところで、朝日新聞名人戦主催すべく申し入れたのは、日本将棋連盟理事会の経営諮問委員会*1朝日新聞社に打診したことがきっかけだったことはすでにいくつかの記事で報じられています。文春の記事には諮問委員会委員長の中原伸之氏のコメントも掲載されています。

「連盟の赤字体質はこのままではどうにもならない。そこで負担能力が高く、名人戦とも因縁がある朝日に移してはどうかということになった。朝日には箱島(信一前社長)さんと親しい私がお話ししました」

それから、文春の記事は1991年に起こった名人戦の毎日から朝日への移行話についても触れています。このときは故大山康晴十五世名人に米長邦雄永世棋聖中原誠永世十段が協力して、その話をつぶしたと記事では紹介されています。

そして観堂氏の話として「我々としては、多くの棋士に毎日側の考えを理解してもらい、通知書が撤回されれば、今回のことは水に流すつもりです」というコメントを紹介しています。

記事の最後では、羽生善治四冠のコメントも紹介されています。

今回は谷川浩司九段に敗れ挑戦権を得ることができなかった羽生善治王将だが、連盟のドタバタぶりをどう見ているのだろうか。
棋士は決められた対局に全力を尽くすというのが務めですので、すっきりとした気持ちで一局一局に臨みたいと思っています。」

コメントからは賛否は読みとれません。それとは別に気になるのが、上で「羽生善治王将」と書かれていることです。羽生善治三冠は現在、王位・王座・王将の3つのタイトルを保持しています。この3つは対等ですので「三冠」が日本将棋連盟公式の呼称です。しかし、棋戦主催社の記事の中では、その主催する棋戦のタイトルを優先的に扱い、複数タイトルを持っている棋士も自社のタイトルで呼ぶことがあります。王将戦毎日新聞(とその系列のスポニチ)が主催していますので、この書き方は毎日新聞からの視点からものということになります。(例:将棋大賞:最優秀棋士賞に羽生善治王将を選出