名人戦契約問題まとめなどいろいろ

関連記事へのリンクは昨日の名人戦・順位戦を毎日から朝日へ移籍 日本将棋連盟理事会方針をご覧下さい。本日、いくつかのリンクを追加しました。

これまでの経緯

まだ明らかになっていない部分が多いのですが、わかる範囲で何が起こっているのかをまとめます。

記事のタイミング

この件を最初に報じたのは産経新聞でした(系列の夕刊フジも?←未確認)。それが12日の朝刊。ウェブ上に載ったのは12日の未明のようです。しかし、本日発売の週刊文春週刊新潮でこの件に関する記事が載っており、そのことは11日の時点でもわかっていたと思われます。

そもそもこの話は一部の棋士の間ではすでに公然のものとなっていたようです。例えば、渡辺明竜王は10日に書かれた明日から名人戦。で「明日は明後日の棋士会に備えて家にいるので」と棋士会が大変なものになるだろうということを示唆していたことが今読めばわかりますし、遠山雄亮四段は既報の通り・・・で「正直なところ、この1週間その事で色々な人と話し合ってきました。」と述べています。それだけ多くの人に話が伝わっていれば、どこかから漏れても不思議ではないでしょう。

もともと12日に棋士会で理事会が説明を行った後に記者会見をすることは既定路線だったようです。文春・新潮の記事もそれに合わせたものだったということなのでしょう。それよりも半日早く産経が記事にしたというのが今回の報道の実態だったと私は推測しています。ということは、ほぼ元の予定通りのタイミングで記事が出たということで、各社は基本的には先駆けはしなかった(あるいはできなかった)ということだと思います。

この件が名人戦が指されている最中に記事になることは、名人戦を楽しむファンとして違和感を覚えざるを得ませんが、名人戦の最中に情報が漏れたというよりも、名人戦の最中に棋士会が開催されることに根本的な原因があり、それが異常なのではないかと思います。

名人戦を巡る毎日・朝日の遺恨

名人戦はこれまで毎日→朝日→毎日と2度の主催社交代を経験しています。この歴史を振り返りたいのですが、あまり調べていないのであまりきちんと書けないと思います。関心のある方は関連の文献にいろんな話が出てきますので、調べてみて下さい。

将棋の名人の歴史は江戸時代までさかのぼりますが、その後の最大の転換点は家元制度から実力制に変更した1935年でした。このときに主催社となったのが、現在の毎日新聞社の前身に当たる東京日日新聞でした。しかし、第9期からは朝日新聞に主催が移り(やはり契約金に関する不満が大きかったようですが、このあたりのことは調べていません、すみません)、それが第35期まで続きます。

異変の前触れは囲碁界の動きでした。囲碁の日本棋院は1974年の暮れに、名人戦主催社をそれまでの読売新聞社から朝日新聞社に変える決定を下します。これによって囲碁名人戦の契約金は大きく上がりました。読売新聞社はこれに反発しますが、結局はあきらめ、朝日新聞名人戦をさらに上回る額で新たに棋聖戦を創設。こうして囲碁界は大きく収入を増すことになりました。

これを見ていた将棋界は、じゃあこちらもということになったようです。もともと、将棋と囲碁は対等したがって契約金も同額にという建前論があったらしく、またそれまで契約金がほとんど上がっていなかったこともあり、かなり強気の交渉姿勢に出たようです。この交渉の経緯は名人戦@将棋パイナップルに詳しく記録されています。

これに関連して、河口俊彦七段の『大山康晴の晩節*1には次のように書かれています。

交渉のくわしい事情は明らかにされていないが、理事会と読売側とは、内々で名人戦を移す、との約束があったようである。それが棋士側に伝わり、総会では、読売に移すべし、との意見が大勢を占めた。私など平棋士は、話を聞いていて、読売に決った、と思っていた。

ところが、読売側との交渉が思惑通り進まなかった。そしてご破産となった。困ったのは理事会である。朝日には契約を破棄すると言い、読売に断られて、名人戦が宙に浮いてしまった。

直後に理事で大山とともに交渉にあたった米長は「このとき将棋連盟は、負け将棋の状態になってしまった」と言ったくらいである。

このピンチを救ったのが大山であった。毎日新聞に頭を下げ、名人戦を引き取ってくれるように頼み込んだ。

多分、長年毎日の嘱託をしていて築いた人脈が物を云ったのであろう。毎日新聞は、破格の契約金で名人戦を引き受け、王将戦もそのまま継続して主催する、との条件を飲んだ。

さて、実は話はこれで終わりではなく続きの話があります。全部は紹介しきれないので本で読んでいただきたいと思いますが、その中でも有名な「牛丼の恨み」は取り上げておきます。

朝日に対する反感は、若手棋士達に根強くあった。「牛丼の恨みを忘れるな」を合い言葉に結束した。

こういったところが、棋士らしい感情である。牛丼の恨み、といったって、たいしたことではない。

例年名人戦の第一局は、渋谷の「羽沢ガーデン」が対局場だった。今もそうだが、四十年くらい前は、超の上に超の付く高級料亭で、しゃぶしゃぶを売り物にしていた。当時、牛肉のしゃぶしゃぶなど、どんなものか見ることもできぬくらいの料理だった。だから記録係や連絡係などを頼まれた奨励会員は、美味しい料理を食べられるのをいちばんの楽しみにしていた。記録係は食事などについては対局者、立会人と対等にあつかってくれていた。

ところが、朝日の担当記者は、ある時期から、奨励会員の記録係を見くだし、食事のとき、宴会場から追い出し、女中部屋みたいなところで、牛丼を食べさせた。

こうしてプライドを傷つけられた記録係が大勢四段になっていた。しかも、みんなエリートだった。奨励会員のころの口惜しさを忘れているはずがなかった。

面白い話ですが、これには別の話もあります。田丸昇八段の『将棋界の事件簿―現役プロ棋士の実話レポート』には次のように書かれています*2

河口の指摘はなかなかユニークである。朝日との名人戦問題で、牛丼による担当記者への恨みから反対票を投じたというのは実際にあったかもしれない。食べ物の恨みは恐ろしい、と昔からよく言われている。

別室で記録係に牛丼を食べさせたという朝日の将棋担当記者は、「竜騎兵」というペンネームで観戦記も書いた田村孝雄さん。歯に衣着せぬ物言いの人で、一流棋士とも対等に話をした。そんな豪快な性格は棋士たちに意外と人気があった。その一方で奨励会員に対してはやや横柄だった。

ただ田村さんを弁護するわけではないが、牛丼の件はそれなりの事情があったと思う。羽沢ガーデンはもともと旅館ではない。対局者や関係者の部屋を割り振ると、記録係の部屋を用意できない場合があり、記録係が対局場から日帰りすることはよくあった。1日目の指し掛け後、翌日の通いがあるので記録係は早く帰したい、との理由ですぐ食べられる牛丼を出したともいえる。2日目の終局後は、記録係は棋譜や駒などを将棋会館に持ち帰る任務が残っていた。また大先輩の棋士や大人の関係者が多い宴会場で、記録係の少年がぽつんとしているのはかえっていづらいのではないかとの考えもあったに違いない。なお地方の対局場では、記録係は対局者や関係者たちと一緒に会食した。

実は、私も奨励会時代に羽沢ガーデンの別室で牛丼を食べた経験があるが、宴会場に出られないことに腹は立たなかった。金がない少年にとって、その牛丼は立ち食いの牛丼とは比べられないほど美味だったからだ。

こちらの引用もこのくらいにしておきます。物事にはいろいろな見方があるということでしょう。

とにかく、このようにして名人戦は朝日から毎日に移りました。そのあおりで1976年度の順位戦がなくなるという異例の事態となったりしたものの、このときから現在まで名人戦順位戦毎日新聞社主催で行われてきました。すでにそれから30年近くが経とうとしていますけども、このときの遺恨はまだ残っているのでしょう。

名人戦以外の棋戦

名人戦が朝日から毎日に移る前、毎日新聞王将戦を主催していました。毎日が名人戦を引き受けるにあたって、王将戦も継続することが条件となっていました。といっても、一つの新聞に2つの観戦記を載せるのは難しかったことから、王将戦毎日新聞の系列のスポニチが引き受けることになり、現在はスポニチと毎日の共催という形になっています。王将戦の創設は1950年。現在の竜王戦のルーツにあたる九段戦と同じで、名人戦に次ぐ古い歴史のある棋戦です。ただし、現在の契約金額はタイトル戦の中では最低額(推定)で、格が低く見られているようなのが残念なところではあります。

今回、毎日新聞はだいぶ怒っているようですが、その勢いで王将戦もやめると言い出すこともあるのかもしれません。そうであっても、王将戦は比較的安価なので別のスポンサーが見つからないかな、というのは将棋ファンとしての期待ですが。

一方、名人戦を失った朝日新聞は、その後しばらくアマ棋戦などで紙面を埋めましたが、1982年度に全日本プロトーナメントを創設し、さらに2001年度には朝日オープン将棋選手権に改組し挑戦手合い制としました。このチャンピオンである朝日オープン選手権者は、昇段規定やシード権基準で竜王・名人を除くタイトル保持者とほぼ同等の資格を与えられ、また賞金額も竜王・名人に次ぎ棋聖と同等程度(推定)の水準となっており、現在ではタイトル戦と呼んでも事実上差し支えないほどの権威を持っています。それでも朝日新聞社がタイトルの格を求めなかったのは、名人戦を取り返したいという欲求があったからなのか、と今回の事態を見て感じます。

仮に、今回名人戦が朝日に移った場合、朝日オープンがどうなるのかが大きな問題となります。朝日系列の日刊スポーツはすでに女流王将戦の主催社となっているため、王将戦のようにスポーツ紙に移すことは難しいと思われます。もし毎日新聞の記事にあるように朝日オープンがなくなるとすると寂しいですね。

毎日新聞の声明について

編集局長という立場からこのような声明が出るのは異例の事態ですね。将棋ファンとして私がまずはじめに注目するのは、見出しの「守ります」という部分です。読売や朝日は、紙面をみていて将棋を軽視はしていないという雰囲気が感じられたのですが、毎日新聞に関しては名人戦順位戦をしっかり扱っているという以外の部分でよくわからないと感じていました。歴史的に名人戦順位戦があるのでそれに関しては続けているけれども、それは実は惰性でしかなくて内心ではお荷物だと思っているのではないかと。しかし、編集局長という立場の人が明確に「守ります」と言明したことで、それは杞憂だったことが明らかになりました。そう言ったからには、あらゆる手段を尽くして守るのでしょう。そうでなければ記事で使われる言葉の重みがなくなってしまいます。将棋がそれだけの価値があると評価されたことは喜ばしいことです。

そうであるならば、日本将棋連盟毎日新聞社に対して「長年お世話になっている」と同時にお世話してきたことになります。観堂氏が書いたように、日本将棋連盟毎日新聞社とともにタイトルを育ててきました。つまり、どちらかが依存していたのではなく、共存共栄で対等な関係であったわけです。

対等な関係の中での契約であれば、その契約を変更して自分に有利にしようと試みること自体は自由であり、責められることではないと私は考えます。「日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのでしょうか。」という文は、そのような契約の自由とは対立するものであり、実質的には朝日に対して資金面で対抗できない毎日の苦境を示しているようにも受け取れます。

しかし、自由だからといって(あるいは自由だからこそ)どうやってもいいというものではありません。まず、契約書に何が書かれているのかを吟味して、それに反することはできないことに注意する必要があります。ただ、日本将棋連盟ではそれはさすがに検討済みだと信じます。つまり、「連盟に通知書の撤回を求めます。」と言われても、そうする法的義務を負わないだけの根拠があってやっているのでしょう。

名人戦の主催社を移すことが法的に可能だとして、問題はそれが本当に得になるのかどうかです。資金面で朝日新聞社の方が有利だとしても、毎日新聞社が重要なスポンサーである事実にかわりはなく、毎日新聞社の怒りを買わないにこしたことはありません。今回の文面を見る限り、事前の準備の不足により明らかに怒りを買っており、この点だけを取ってみても下手を打っているように見えます。

毎日新聞社にとって名人戦が重要であるとしても、1970年代に比べるとその重要度が下がっていることは明らかです。毎日新聞社に「名人戦をやめるなら将棋を載せるのをやめる」と言われたとき、日本将棋連盟は果たしてそれで構いませんと言えるのかどうか。私は無理だと思います。そうなれば、他にも将棋を辞める社も出てきそうに思います。そんな「負け将棋」は避けてほしいところですね。

そういうことで立場的には連盟より毎日の方が強いと思うのですが、ただ、この文章を見ているとやや感情的になっているようにも見えます。この観堂氏が何歳なのか知りませんが、30年ほど前から毎日新聞社にいる人だとすれば、前述のような遺恨を思い出して冷静さが幾分失われたということもあるかもしれません。もう少し落ち着けば、将棋を全部やめるというような極端な主張は出る余地はなくなって、お互いに歩み寄れるのではないか。そんな風に期待します。

ファンの利益になるように

こういう争いを見ていて感じるのですが、当事者の誰も「ファンのためになるように」ということを(建前論としてすらも)言わないわけです。「将棋ビジネス」考察ノート:本の紹介;『将棋界の事件簿』の<1>で触れられているようなことが今回も見られるのかと思うと幻滅します。

契約金の多寡にとどまらず、自分のところで名人戦を扱うときは紙面でこんな風に扱いますとか、ネット上でこんなサービスをしますというような方面で競争できないものでしょうか。将棋の普及を旗印にする日本将棋連盟にとってはもちろん、将棋を通じて読者の獲得を目指す新聞社にとってもまっとうな方向性だと思います。

それぞれの読者が払っている月何千円かのお金が分散して集積する過程で、ファンの声は濾過されてなくなっていくように見えてしまいます。

棋士の交渉のやり方

毎日新聞に対して、

来社した中原誠・将棋連盟副会長は「長い間お世話になり、感謝している。名人戦の運営には何の問題もなく、あのような通知書を出して恐縮している」と切り出しました。

読売新聞に対して、

西村一義専務理事によると「読売新聞社主催の竜王戦を最高棋戦とする方針に変わりない」という。

なんというか、いろんなところで言質を取られているという感じがします。棋士は経営の素人ですが、交渉に関しても素人ということではないかと思います。まあ当たり前ですが。

竜王戦との関係

もし名人戦の契約金が上がると、竜王戦の契約金額を超える可能性が出てきます。竜王戦は現在「将棋界最高のタイトル」ということになっているわけですが*3、それは将棋界で最高の額のお金を出しているところから来ているという話だったと思います。そうなると、名人がそれを上回れば今度は名人が最高という話になってきそうにも思えます。

実際のところは、「朝日新聞の提示額は、名人戦が3億5500万円、臨時棋戦4000万円、普及協力金1億5000万円の5年契約。」ということで、「普及協力金」(ってなんだかわかりませんが*4)を除いた純粋な棋戦契約金の額は竜王戦を越えないのかもしれません。そうすると、あいかわらず竜王戦が最高という理屈を維持することが可能になります。

4月14日追記:読売新聞14日付朝刊の記事によると、読売新聞社竜王戦契約金額は3億4150万円だそうです。上で書いた推測は全くの見当はずれでした。申し訳ありません。

「情報公開」について

ところで、本日付のさわやか日記で次のような記述がありました。

名人戦主催についての情報を正式にオープンにしました。
棋士会は約80名参加。関東の現役棋士の大半が参加。
全ての折衝は渉外担当の中原副会長がやり、最終責任は私も一緒です。
2時間半の活発な討議でした。しかし、本音を言うことを何か控えているような、避けているような氣がしました。
質問した方も、応答する理事側も、もっと激しい討議を期待していたのではと思いました。

情報をオープンにしたと書いてありますが、日本将棋連盟の公式サイトには特に何も掲示されていません。思うのですが、米長邦雄永世棋聖が情報公開と言うとき、それは世間一般への公開ではなく、理事会から他の棋士への公開なのではないでしょうか。そう考えると納得できます。

*1:関係ありませんが、今月初めに新潮文庫で文庫化されています。

*2:なお、この話の舞台となった羽沢ガーデンは2005年12月18日をもって閉館しています。

*3:竜王と名人はどちらも最高のタイトルらしいですが、竜王と名人の両方を獲得した棋士は「竜王名人」と呼ばれるなど竜王が上とされる場合があります。

*4:建前を述べれば、日本将棋連盟は将棋の普及を目的とした公益法人ですから、その支出はすべて将棋の普及に使われるはずで、新聞社が日本将棋連盟に支払うのはすべて将棋の普及に協力するためのお金と言えるはずです。