名人戦契約問題についていろいろ(53)

9月26日発売のSPA!10月3日号に「将棋名人戦−朝日が毎日から強奪を目論む棋戦の最高権威」という見出しの記事が掲載されましたが、普通の記事だったので特に言うことはありません。SPA!が通常の記事でこの問題を取り上げるのは初めてなので、なぜこのタイミングでというのは気になりますが。

読売ウイークリーの記事

9月25日発売の読売ウイークリー10月8日号に「名人戦 朝毎共催案これだけの『懸念』」という見出しの記事が掲載されました。これまでは2ページの記事が多かったのですが、今回は1ページだけでした。基本的には、次の要約で内容が示されています。

将棋の名人戦問題で、毎日新聞社は19日、朝日新聞社が示していた共催案に合意したが、これで円満解決に向かうのか――。ライバル紙が手を組む異例の事態に課題は山積。対立のしこり、契約金額、対局地の選定、ネット中継……。

フィナンシャルジャパンの記事

9月21日発売のフィナンシャルジャパン11月号に「名人戦争奪『仁義なき戦い』」という見出しの記事が掲載されました。日本将棋連盟理事の田中寅彦九段とスポーツジャーナリストの二宮清純氏の対談で、司会はこの雑誌の編集長の木村剛氏。10ページからなる長尺の記事です。

この記事が出ると知ったときまず思ったのは、「スジ」がわかるということでした。「スジ」というのは、将棋世界10月号での先崎学八段の次の文章に出てきた言葉です。

こうした「いざ鎌倉」という時は、昔の武士が朝廷と幕府がもし争ったら幕府につくのが「スジ」なように、理事会につくのが「スジ」なのである。

だが今回は、そのスジを守るわけにはいかないという棋士が多かった。これは異常なことなのである。

これまで理事会側の主張は公式にはほとんど表に出てきませんでした。それが、この記事では田中寅彦九段の意見がよく引き出されています。このあたり、二宮清純氏が良い仕事をしていたと思います。なお、この対談は朝日新聞社毎日新聞社との共催の意向が明らかになる前に収録されたもので、共催は「難しい」という前提で話が進んでいることにご留意下さい。

対談は、まずマスコミ報道の批判から始まります。

田中

私は、水面下で今回の交渉のすべてに携わっていましたが、「ペンの力」を思い知りました。マスコミが結束して「結論ありき」の報道をすると、事実というのは本当にゆがんでくるものなのですね。

具体的にどういうふうに誤解されたのですか?」という木村氏の質問に対して、田中九段が背景として名人戦のこれまでの歴史を紹介した上で、次のように話しています。

二宮

ただ、契約金だけを見ると、読売の竜王戦が一番高い。

田中

じつは、竜王戦の契約金は、名人戦の契約金の少し後に決めるので、その気ならば二番手に落ちることはない。

二宮

なるほど、竜王戦の契約は名人戦の契約の直後だから、幾分高くなる。それによって読売は竜王戦のステータスを保っているわけですね。

田中

正直に言うと、読売の発行部数が一番多いので、契約金も一番にするという考え方があるのです。ただ、そうなると、将棋界で最も名誉のある名人戦を、部数の少ない毎日に主催させておいてよいのか、というつらい思いに襲われるわけです。

二宮

名人戦のステータスと発行部数のバランスでいくと、朝日でないとしっくりこないというのが理事会の見解なんですね。

田中

ある程度発行部数と契約金はマッチする必要があると思います。それに、名人戦の契約金を他紙は基準にして考えますから……。

二宮

なるほど、名人戦が契約金全体の基準になっていると?

田中

そうなのです。じつは、名人戦の契約金はこの六年間で一五〇万円しか上がっていません。アップ率は毎年〇・一%にもならない。名人戦が上がらないので、将棋界の財政は苦しくなってくる。これは理の当然です。

二宮

読売からすると毎日に名人戦を持ち続けてもらって、契約金が上がらないようにしたほうが得ということでしょうか?

田中

将棋連盟の理事会が悪者にされてしまった理由は、そこにある気がします。「将棋文化の象徴である名人戦は、毎日が主催したほうが将棋界や日本文化のためにいい」と思って記事を書いた記者はほとんどいなかったのではないでしょうか。事実確認に問題があったり、本質をすり替えたり、読者に誤解を与える内容や見出しがかなりありました。

二宮

最もステータスの高い名人戦の値段が低位で安定してくれると、各新聞社が主催している棋戦の契約金が値上がりしないという図式になっている。理事会はこの構造を崩したいわけですね?

田中

それが将棋界の悲劇の根本にあります。将棋連盟の理事会はその根本に手を付けようとした。

  • 「将棋界で最も名誉のある名人戦」という表現は、竜王戦との関係を考えるときどのように解釈すればいいのでしょうか。通常は言葉を選んで、「最も歴史のある」などと表現するわけですけども。
  • 後でも出てくるように棋戦の主体がどこにあるのかというセンシティブな問題があります。「名人戦を毎日に主催させておいて」という部分は日本将棋連盟毎日新聞社に主催させておくということだと思いますが、新聞社に棋戦を主催させるという言い方はちょっとうかつなのではないかと思いました。この対談全体から、田中九段が言葉をあまり選んでいない雰囲気を感じます。
  • 名人戦の主催社が「朝日でないとしっくりこないというのが理事会の見解なんですね」という質問に肯定的に答えていますが、理事会はこの問題に関して中立というのが公式見解だったはずです。棋士総会が終了した後とはいえ、それをくつがえすのはまずいでしょう。個人としての見解とか何かエクスキューズが必要だったと思います。
  • 名人戦が上がらないので、将棋界の財政は苦しくなってくる。これは理の当然です」というのはどうでしょうか。まず、ここ6年ほどというスパンで見るなら日本の消費者物価指数はほぼ一貫してマイナスですので*1、契約金の上昇率がわずかであっても問題はないはずです。それに、契約金の上昇幅が多少大きかったり小さかったりしてもそれを前提に予算を組むわけですので、そこを問題にするべきでしょう。これに関しては、毎日新聞の社説にあった「これまで本社はじめ棋戦を主催する新聞各社はみな経済動向を踏まえて契約金の上積みをしてきたではないか。なのになぜ財政難が生じたのか」という方が正論に思えます。
  • 「『将棋文化の象徴である名人戦は、毎日が主催したほうが将棋界や日本文化のためにいい』と思って記事を書いた記者はほとんどいなかったのではないでしょうか」とありますが、私はそうでもないような気がします。もし誤りを含む記事があったのであれば、具体的にどの記事がそうだったのか指摘してもらわないと、読んでいるだけの側には伝わりません。
  • 結局、名人戦の契約金を上げたいという「金」の問題のようです。お金を問題にすること自体は私は悪いことでないと思っています。逆に、朝日新聞社の提案における金銭面での日本将棋連盟に対するメリットがどのあたりにあったのか疑問を持っています。

この後、経営諮問委員会の話があり、次に王将戦の話へ進みます。

二宮

王将戦は、スポニチと毎日の共催ですよね。

田中

最初に朝日に名人戦を持っていかれたとき、毎日が立ち上げたのが王将戦。「王将」という映画もありますし、いろいろなお店の名前にも使われていてネームバリューは今でも一番です。本来、王将戦はそのステータスに見合った契約金であるべきなのです。

――

王将戦の契約金は、一億円に届いていないと聞いていますが。

田中

王将戦七大タイトル戦の中で一番安い。名人戦が毎日に出戻ったとき、毎日が「王将戦は系列のスポニチでやるのでなくしません」と配慮してくれたため、王将戦は値上げしにくかった。そういういびつな関係を三〇年間続けてしまったのです。今回名人戦を朝日に移すことを機に、毎日に王将戦を頑張ってもらうことになれば、毎日にとっても経費節減になるはずです。

――

たしかにそれは一つのソリューションではありますね。

田中

諮問委員からは、「こういういびつな状態が続いている限り、将棋連盟の将来はない」と厳しく指摘されました。それで、腹を括って動き出したのです。

二宮

ねじれ現象を解消しなければ、将棋界の将来がないというのはわかりますが、今回はその手際が問われました。

田中

私たちの使命は、より多くの人に将棋を楽しんでもらうこと。一生懸命つくり上げた棋譜も、より多くの人の目に留まらなければ意味がない。そういう正しい姿に持っていくためにも、「毎日=名人戦王将戦」というねじれ現象を解消しなければいけなかった。

二宮

理事会の最大の目的は、名人戦の価値向上を図ることで、棋戦の契約金を見直したいということですね。

――

それにしても、結果的にかなりの大騒動になりました。

田中

悲しいかな、私たちは所詮将棋指しなのです。しっかりした代理人が間に入らないと、だめな時代なのかもしれません。

――

改革に踏み出すきっかけは何だったのですか。

田中

共同通信社が主催している棋王戦に関して、四国新聞社が加盟社から抜けたことです。新しい社長がアメリカナイズされた方で、一年一〇〇〇万円しない協賛金でしたが、加盟他社との割合が不平等で、そこを直さないとわれわれは協力できない、ということになった。

二宮

月に一〇〇万円しないコストでしょ。将棋ファンは全国どこにでもいるのに、それでも高いと?

田中

実際、棋王戦の代わりに既存のアマ棋戦を将棋欄に掲載したら、けっこう高くついたようです。ただ、この四国新聞社の件が勃発して将棋連盟の財政はさらに悪化したので、理事会は「朝日の申し出を表に出し勝負するしかない」と決心しました。毎日との契約書では、三年契約終了の前年三月二七日までに通告しないと自動継続になる取り決めだったので、期日に合わせて契約解消の申し入れ書を持っていったわけです。

――

毎日との契約についても、「裁判になったら将棋連盟が負ける」と報道で指摘されていましたが。

田中

それは将棋連盟内部のかく乱には効果を上げたでしょうが、事実に反すると思います。私たちは弁護士や他の法律の専門家に相談してやってきましたから。

二宮

毎日には根回しせずに、いきなり持っていったわけですか?

田中

朝日からの正式な申し入れがあったのは三月一七日。その後、すぐに行きたかったのですが、羽生三冠と佐藤棋聖の間で争っていた王将戦が長引いてしまった。その王将戦が終わって、彼らに話をしてから行こうとしました。

というのも、実は失敗に終わった約一五年前の前回、有力棋士たちが知らないうちに名人戦騒動が起こったため、今の正副会長は怒って反対派に回ったのです。その轍を踏んではまずいので、まずは棋士たちに伝えようとしたわけです。とはいえ、タイトル戦の最中に話して、集中力を削いでもいけないので待った。それでギリギリのタイミングになってしまいました。それでも反対されたようですが……。

  • 「本来、王将戦はそのステータスに見合った契約金であるべき」というのは一つの考え方ではありますが、その主張がどこでも通用すると思っているとしたらだめでしょう。
  • 二宮氏の「今回はその手際が問われました」という質問はよくしてくれたと思います。
  • 「しっかりした代理人が間に入らないと」という部分に関しては、もっと早く気付くべきだったと思います。
  • 四国新聞社棋王戦から抜けていたことが明らかになったのは初めてだと思います。ネット上のどこかでちらっと読んだ記憶がありますが*2日本将棋連盟棋王戦掲載紙一覧もそのままになっているのであまり気にしていませんでした。四国新聞社は香川県の地方新聞社で、地方紙の中ではそれほど大きい方ではありません。そういう新聞社にとって年間1000万円が大きいのか小さいのかはよくわかりませんが、他社との割合が不公平と感じるようなことがあったようですね。経営が苦しくなれば、その桁の費用もできるだけ削減しようとするのは当然の成り行きではあります。かわりにアマ棋戦の対局が掲載されて、それが「けっこう高くついた」というのは本当でしょうか。高くなる理由が思いつきません。
  • 「裁判になったら将棋連盟が負ける」と断言した報道があったかどうか記憶にありません。そういう可能性があるという報道はあったと思いますが。
  • 王将戦第7局が行われたのが3月21・22日でした。しかし、4月の頭には朝日オープン五番勝負も始まる時期でしたし、それを待つことの意味がどの程度あったのか疑問です。四国新聞社の件がいつあったのか不明ですが、それがあってからすぐに動き出して朝日新聞社からの正式な提案を早い時期に受けるようにしていれば、こんなことにはならなかったのではないでしょうか。毎日新聞社との契約解消申し入れがこれほど突然でなければここまで事がこじれずにすんだはずです。ネガティブな報道が多かったのもこれが発端であることをどれだけ認識しているのかどうか不安になります。

このあと、申し入れがあってから毎日新聞社が巻き返しとして各棋士の自宅を訪問するなどのことがあったという話が出てきます。そして、報道に関する批判が出てきます。

――

毎日が提示金額で勝っているときは、「お金でいい」と言っておきながら、票決で負けると「お金で取るのは汚い」という話になってしまう。

田中

毎日が将棋連盟の経営を批判するなら、自社の経営状態や発行部数のことも書いてほしい。何も書かないじゃないですか。毎日の部数が少なくなったことが問題の発端にあることにはほっかむりしている。

二宮

部数ウンヌンはともかく、入札なら入札で割り切ってもよかった。

田中

そういう本質的なところは論点にされない。「文化を金で語るな」とか書いていますが、だったら、名人戦という将棋の伝統文化を日本のみならず世界に広めるにはどうすべきか、とう本物の議論をしてもらいたい。でも、そういうことは何も語らない。日本国内の毎日新聞から朝日新聞に掲載が変わるだけですよ。どうってことない話です。

二宮

確かに主催新聞社が変わっても名人戦がなくなるわけではないですからね。

  • 「お金でいい」とか「お金で取るのは汚い」というように言うことがころころ変わったマスコミがあったかどうか。この部分は田中九段の直前の発言を受けてのものですが、具体的にどの報道を指したものか私にはわかりませんでした。
  • 将棋を世界に広めるにはという「本物の議論」が必要という点には賛成です。その「本物の議論」がこの対談中で田中九段の口から出なかったことはTakodori's Self-brainstorming How to Promote Shogi Globally: 田中寅彦x二宮清純を読んででも指摘されたとおりです。将棋の海外への普及は日本将棋連盟の目的の一つですが、連盟が組織として本格的に取り組んだことはこれまでなかったと認識しています。米長邦雄永世棋聖日本将棋連盟会長就任時の日本将棋連盟会長のご挨拶にも言及はありませんし、理事にも担当は割り当てられていません。棋士個人では取り組んでいる人がいますが、組織としてはNPO法人将棋を世界に広める会の方が実質的な活動を行っていると思います。このまま以前と同じようにビジョンがないままの状況が続くとしたら、海外への将棋の普及を進めるべく尽力されている方々に対してそれこそ「無礼」な話だと思います。

この後、「少なからぬ棋士が毎日への支持に回った」という木村氏の発言に対して、田中九段は「いまの若い棋士はあまりケンカしたことがない」と返答し、毎日案を支持したのが主に若手棋士だったという見方を裏付ける発言となっています。

――

理事会は、毎日と朝日の発行部数とか財務内容について、渡辺竜王や森内名人、羽生三冠にも説明したんですよね。彼らに将棋連盟の将来に関する危機感はないんですか。

田中

彼らは個人的にはいろいろ考えていますが、恵まれた立場なのでわからないことも多い。「理事会は支持しているのに、なんで毎日に怒られるようなことをするんだろう?」と思っただけで困っていた。そこで米長会長は「理事会は中立で会員の総意に従います」と臨時総会を開催することにしたので、「これで理事会の責任はなくなったから安心して毎日を支持できる」となったのです。本当は一票でも毎日単独支持票が多かったらわれわれ理事会は総辞職に追い込まれていたでしょうが、彼らにその気持ちはなかったでしょう。

  • この部分は意味がよくわかりません。説明した内容について理解が得られなかったと言いたいのでしょうか。田中九段がタイトルホルダーの棋士の考えを理解できるほどコミュニケーションがとれていないようだということはわかりますが。

これに続いて、棋士の収入が低いという話が出てきます。

――

契約金による収入が、棋士の年収の大本なんですからね。

二宮

もともと文化というものは、貴族などのパトロンが支えてきた。

田中

めちゃめちゃにお金をかけて支えたものが後に残った文化と認識しています。

二宮

逆説的に言えば、文化を支えるにはお金がかかる。だからパトロンはステータスを得ていた。

田中

お金の話というのはとても不思議です。今回の騒動でも「将棋指しの給料は非常に高い」という世論が新聞によって作られたんですが、じつは新聞記者のほうが平均年収は高いように思うんですね。

二宮

棋士の年収は?

田中

一五六名しかいない現役棋士の平均年収は九〇〇万円台です。当然一億円を超す羽生もその中の一人ですから、大半の棋士はそれ以下です。

  • 将棋棋士の収入が多いか少ないかというのは、以前も今もいろんな人が多様な認識を持っている話題です。羽生三冠は年に10億円稼いでもいいという人もいれば、将棋に勝つだけで何千万円ももらえるなんて考えられないと言う人もいます。上の発言を見ると、文化である将棋に「めちゃめちゃにお金をかけ」ることが前提なしに当然と受け入れられるべきだと考えているようなのが気になります。誰かが文化にお金を出すという判断をしたとしても、文化は多種ありますのでそのうちのどれにお金をかけるかはその人の判断次第です。もう少し現実的に考えると、会社内で将棋にお金を出すかどうか検討するときに、理由なしに支出を決定することはできないだろうことは会社勤めの経験がなくても容易に想像できるはずです。将棋の棋戦を主催する理由を外部にも説明できるようにもう少し考えた方がいいのではないかと感じました。
  • 歴史的に言うと、戦前の新聞業界がまだ大きくなかったころから将棋の棋戦が新聞の販売促進目的で作られてきたことはこの対談中でも触れられています。現在で言うと、テレビの民放と格闘技界の関係に近かったのではないかと、個人的には思っています。このような関係で重要なのは、販促効果がどれだけあるかであることは言うまでもありません。自社にとって利益になると考えられる分だけお金を支出するという、経済的な取引で最もよく見られる形態です。新聞社と日本将棋連盟との間の契約がこのような考えに基づいて結ばれていると考えている人は、新聞社内にも多数いるのではないかと思います。そのように考えれば、単に契約金額を上げろと主張することがどれだけ不毛なことかわかるのではないかと思います。これまでこうだったからとかいう右肩上がりを前提とした考え方からはいい加減に抜け出すべき時代になっているはずです。
  • 次に、棋士の収入を新聞記者の平均収入と比較している部分がありますが、これは2つの意味で不適切だと思います。まず、仕事の内容が全く違うのに収入が同じであるべきであるかのように言うのは全く意味がありません。次に、平均収入を比較するのは適切ではないと考えられます。棋士の場合は、新聞記者に比べて収入のばらつきがずっと大きいのですから、平均収入という実態はあまりありません。タイトルホルダーのようによく活躍している棋士は普通のサラリーマンの収入よりもずっと大きい収入があるのに対して、勝てない棋士は対局料がほとんどなくても仕方ありません。問題は、収入がほとんど対局料のみから成り立っていることであり、それ以外の収入の道を増やす努力がこれまであまり行われてこなかったことにあります。

このあとに、(対談時点から見た)今後の展開について話されています。共催提案があることに触れた上で、田中九段は共催は難しいという認識を示し、それがない場合に「王将戦をどうするのかという話になる」としています。そして続いて、理事会がマスコミに「攻撃」されたという話が再び出てきます。そんな中で、二宮氏が別の視点から問題提起をしています。

二宮

ただ、新聞社にスポンサードを頼っていたという将棋界の旧態依然としたビジネスにも問題があったのでは?

田中

そのとおりです。今回の騒動で、ケンカするのが嫌な若手棋士たちは毎日に一票を投じましたが、じつは彼らは新聞を取っていない(笑)。

  • 新聞を取っていないというのが事実かどうか知りませんが、それよりも質問を全肯定しているわりにそのあとの言葉が質問と噛み合っていないのが気になります。この対談中、二宮氏は随所でいいことを話していると思うのですが、田中九段に届いているのかどうか。

このあとも似たような展開が続きます。

田中

じつは、今回の名人戦の契約は、従来の三年を五年にしてもらいました。激動の時代を乗り切る本当の改革をするため、少しでも時間がほしかったのです。ですから今後の五年間で何とかしないと、プロ将棋界はダメになります。今回の対処はベストじゃなくベターです。すべての可能性にチャレンジするのが理想の経営でしょうから。

二宮

だったらなおさら、将棋の「トヨタカップ名人戦」とか、「ソニーカップ名人戦」を考えるべき。将棋界には将棋を世界に普及させるというミッションがある。いずれは将棋のW杯というのも見てみたい気がします。

田中

私もそう思っています。それで、いくつかの企業にはお願いに行っているのですが、けんもほろろに断られています(笑)。

二宮

言葉がわからなくても、ルールさえ覚えたら誰でも将棋はできるし、日本の文化を世界に発信することもできる。日本文化を世界に伝播するのは国際的企業の社会的責任だと訴えるべきです。

  • 5年間で「本当の改革」とするということですが、今回の対談中でその具体的内容がどんなものなのかは全く明らかになっていません。これまでにそのビジョンがなかったので、改革機会を先送りするというのが今回の名人戦移行の意味合いなのかなと思っていましたが、それを裏付けるような発言です。早期に「本当の改革」の具体的内容をまとめてほしいものです。
  • 企業にお願いに行っても断られるということですが、この対談を読んでいるとそれも当然だろうなと思わざるを得ません。どうして将棋にお金を出してもらっているのか、再考が必要なのではないでしょうか。文化という視点と、販促という視点。両面からの説得を考えるべきだと思います。

このあと、二宮氏が海外への普及という観点からいくつかのアイディアを披露しています。それに対して、田中九段はこれからのこととしては、朝日になれば海外で名人戦ができるかもしれないという程度の発言にとどまっています。

というのが、対談の概要でした。長文となりましたが、長尺の記事のためそれでも全体にまでは言及できませんでした。実際に記事をご覧いただくことをおすすめします。

冒頭で紹介した先崎学八段の文章は次のように続きます。

またトップの棋士が意見を述べた。将棋界は力の世界。トップの棋士の意見は常に「正論」なのである。

「スジ」と「正論」が割れ、そこの世論がからまって、将棋連盟内部はこんがらがって滅茶苦茶になってしまった。

起きてしまったことは仕方がない。これから将棋界が大事なことは、「スジ」と「正論」と「世論」が一致する、健全な空気を取り戻すこと、ただその一点だろう。そのためには臭い匂いは元から断てではないが、根元をきっちり我々棋士が見すえることだ。最悪なのは、臭いものにはふたをしろ、である。

この記事で「スジ」の一端が見られたわけですが、この雑誌を読んだ将棋ファンはほとんどいなかったのではないかと思います。この記事に対するウェブ上での反応は1箇所だけしか見つかりませんでしたし、雑誌自体が近代将棋よりも入手しにくいという印象でした。そういう意味で、今回の記事が「世論」に与えた影響はほとんどなかったと言えるでしょう。

私はこれまで「スジ」が表に出てこないことが不満でした。対談中で田中九段は自分たちの主張が理解されないことを批判していましたが、そもそも考えを伝えていないのですから理解されなくても仕方ないと私は思います。日本将棋連盟はウェブサイトや将棋世界などで将棋ファンに考えを伝えるチャンネルを持っていいます。それを使った広報活動の不足が一因になったと私は考えています。ネガティブな報道が多数行われたという結果に対する責任を日本将棋連盟理事会がどのように考えているのか、この対談からはわかりませんでした。

「スジ」と「正論」と「世論」を一致させるにはどうすればいいか。一つは「スジ」を世間に訴えていくことですが、これまで同様にその努力をしないのであれば、「スジ」を「世論」に合わせていくしかありません。その間にどれだけ溝があるのかをよくわかってほしいと感じます。それが見えていれば希望があるのですが、私は以前からその点を非常に心配しています。「本当の改革」が間に合うといいのですけども。