週刊新潮に将棋博物館閉館に関する記事

11月22日発売の週刊新潮11月30日号に「『将棋博物館』閉鎖で木村名人の娘を怒らせた『米長会長』」という見出しの記事が掲載されています。(この話題に関しては詰将棋メモ: 将棋博物館が閉館に詳しいまとめがあります。)

「あの品々は、父が常々“将棋界の宝”と大切にしていた貴重なもの。でも、将棋ファンのためならと思って寄贈したのです。それを、私どもには何の説明もなく他所に移すなんて……」

そう憤りを顕にするのは、86年に没したその永世名人の長女である木村朝子さん(77)だ。

このような批判があるようです。個人的には、将棋博物館の元館長でもある木村義徳九段が一番の重要人物だろうと思っていました。これに関しては、記事中にもコメントが少し載っています。

その経緯について、連盟常務理事の東和男七段は、
「今は学芸員もいません。恥ずかしい話、きちんと管理ができていなくて。将棋盤も傷つけてしまったので、倉庫に置きっぱなしでした」

と説明するが、
「数年前にも一度、どこかに寄贈という話が出たんですが、僕を含めて理事や多数の棋士が猛反対して立ち消えになった。もちろん、今回も反対の声が多かったんですが、米長会長が中心になって、執行部で一気呵成に突っ走ってしまったんです」(元理事)

その当時、館長だった木村名人の三男、義徳九段も、
「今年はじめ、連盟の理事から“了承してくれ”と言われましたが、もちろんしてません。そもそも博物館だって、別に維持に苦しんでいたわけじゃないのだから、潰す必要なんてない」

と、言えば、先の朝子さんもこう続ける。
「本来なら国立博物館などの公的機関に寄贈したかったのです。父の意志に反するようなところへいくのは納得できない。絶対に反対です。米長会長には、今からでも返していただきたいくらいです」

当の米長会長は、
「僕が主導したわけではなく、連盟できちんと決めてやったことです。木村名人の遺族が怒ってるだなんてそんなことはあり得ません」

と言うのみ。

上記東七段のコメント中にある「将棋盤」というのは「葵紋蒔絵入り将棋盤」のことで、記事中では「国宝級の貴重品」とされています。この将棋盤は下記の記事中で写真が見ることができ、蒔絵のある側面下部にはっきりと傷が付いているのが見て取れます。

木村義徳九段の「別に維持に苦しんでいたわけじゃない」というのはおそらくその通りなのですが、将棋博物館として使われていたスペースを「多目的ルーム」として活用しようというのが、閉館の主だった理由だったのだと私は理解しています。それはともかく、木村義徳九段は閉館を了承していないようです。

この記事に関連して、米長邦雄永世棋聖さわやか日記の11月22日(水)11時36分31秒付の書き込みで次のようなコメントをしています。

「夜のアポなしは困ります。明日の昼間に日本将棋連盟にお問い合わせ下さい。
博物館については、関西の東理事が担当です。木村名人からお預かりしているものにつきましては、ご子息の木村義徳九段と長兄の方とお話をして、きちんとしている筈です。
真実を報道することは大切ですが、真実を作り上げることだけはお止し下さい」

話し合いが持たれたことは事実として、「きちんとしている」というのが具体的に何を指すのか不明ですが、木村義徳九段が閉館を了承していない点については否定はされていないように見えます。

以下は、この件に関する新聞記事へのリンクです。

ZAKZAKの記事では「大阪商業大アミューズメント産業研究所に展示品の大半を寄贈することを理事会で決めた」と書かれていますが、週刊新潮の記事では「寄託」となっているので、所有権の移転まで含む「寄贈」とは違うのではないかと私は推測しています。