武者野vs米長訴訟 和解に関する何か

1月6日発売の週刊朝日 2007年1月19日号のコラム「高須基仁の修羅場 土壇場 高須場」で「勝負師の狭間で宙に浮く」という見出しの文章が掲載されています。この記事を立ち読みして私はそれほど重要ではないと感じたので取り上げないつもりだったのですが、米長邦雄永世棋聖が内容に反発を示しているのでそれを含めて取り上げます。

2005年6月20日武者野vs米長訴訟、明日第1回弁論でも書いたとおり、高須基仁氏は武者野勝巳六段の側に味方する立場でこの紛争に関わった人物であり、この記事でも次のように書かれています。

事実、彼が米長氏を提訴した際、私は自分の顧問弁護士を紹介し、東京地裁での会見を設定した。武者野側に加勢したのだ。

「それから1年余」してから、週刊朝日の仲介により、高須氏は米長永世棋聖と会って話をする機会があり、その結果「米長氏に対する私のイメージは少し変わった」そうです。また、名人戦問題では高須氏は「毎日側に立って奔走していた」そうです。

ところが、である。

年の瀬になって、米長氏と武者野氏は和解し、朝日と毎日は名人戦を共同開催することで決着がついた。

そこで宙に浮いたのは、誰あろう、この私だ。

先んじて勝負の勘どころを知る天才たちは“落としどころ”を本能的に知るらしい。

だが、私は「老ゆ」どころか、疲労困憊である。

というところで、文章が終わっています。見出しにもなっている「宙に浮いた」という表現が何を示しているのかは、具体的な表現が避けられているので、これを元に何かはっきりしたことが言えるわけではないという意味で情報としての価値は高くないと私は判断していました。

しかし、米長邦雄永世棋聖さわやか日記に書かれたところによると、この記事は「大々ニュース」ということです。

週刊朝日 投稿者:米長邦雄 投稿日: 1月 9日(火)12時22分47秒

おい。こんなこと書いていいのか。
今発売中の週刊朝日1月19日号の141ページ、高須基仁氏のコラムは将棋界にとっては大々ニュース。これだけで将棋世界新年号の名人戦の真実64ページよりも凄い。
本当の事が書いてあるからというよりは、書いてはならないことが書いてあるからです。
米長邦雄が誰と、何と戦っていたかが一目瞭然です。私がどこと和解し、何を得たか、何を失ったかも謎が解けそうです。

私はとてつもなく大きな、そして多くの敵と和を結びました。そして訴えられているものは和解し、名人戦は契約となった。
私の計算違いは、まさか和解内容を外に出す人はあるまいと思っていたことにある。
ただし、私は3人の個人に対して名誉毀損で民事、刑事共に訴えることが出来るだけの余地は残しています。
侵害ということだけが表に出てくるのなら、もっと大きな事実が問題にならなければ心外です。どうも、とんでもない結末になりそうだなぁ。口は災いの元ですね。

記事には米長永世棋聖にとって許せない何かが含まれていたようです。どの部分がそれなのか私には全くわからないのですが、当事者の方にはわかるのかもしれません。

ただ、「私の計算違いは、まさか和解内容を外に出す人はあるまいと思っていたことにある」という部分はどうなのでしょうか。合意した事項を外に漏らさないという内容が和解文書に含まれていたのなら当然の話ですが、2006年12月28日の武者野vs米長訴訟和解のその後でお伝えしたように、米長永世棋聖も和解内容の一部を書いていたためそうではないと思われます。守秘義務が課されていないのであれば、新聞記事になるなど注目を集めた訴訟の和解内容を第三者に伝えるのは普通の行動のような気がします。

上記の「3人の個人」というのが誰のことなのか書かれていません。高須氏が含まれるのかどうかもはっきりしません。和解が成立してようやく終わりかと思っていたら、まだ何かがあるんでしょうか。外から見ていると何がどうなっているのかさっぱりわかりませんけれども。