棋譜と著作権についていくつか(続)

2年近く前に書いた棋譜と著作権についていくつかの続きになります。ご覧になっていない方はそちらもお読みいただけたらと思います。

日本棋院における棋譜著作権の扱い

囲碁平本弥星六段が、2009年10月に発行された母校の広報誌の記事中で棋譜著作権について語っています。その内容は下記のPDFファイルで無料で読むことができます。

日本棋院の事業運営に関わっていた平本六段は、1994年の段階でインターネットを活用した棋譜データベースの構想を描いていました。その事業化にあたっての障害の一つに棋譜著作権の問題があったといいます。それは、棋譜著作権者が誰かという問題でした。

日本棋院の最大の収入源は、棋戦の契約金です。新聞社を筆頭とする棋戦の主催者に棋院が提供するのは、棋譜の第一掲載権です。棋譜著作権まで主催者に譲渡しているわけではありません。では、著作権は誰の所有になるのか。具体的には、対局者なのか、日本棋院なのかということです。従来は、この点を曖昧にしたまま、棋戦契約をしてきました。しかし、データベース化した棋譜で事業を行うためには、日本棋院著作権を確保することが不可欠になります」

日本棋院には、「棋士会」という棋士の互助機関がある。棋士会は、棋院の運営に直接かかわることはない。しかし、棋院の重要な決定について意見や同意を求められ、棋士の総意はしばしば運営に反映される。平本さんはある考えのもと、1998年、棋士会の副会長に立候補した。

棋譜著作権の問題を解決するには、正式な規定に“棋譜著作権日本棋院に属する”という一項を明記する必要があります。従来の対局管理内規には、この他にも様々な問題点がありながら、関係者は避けて通っていたのです。私は、棋譜著作権問題の解決を念頭に置き、新たな対局管理規定を制定するために立候補しました」

規定の文案作成、棋院内の委員会ですり合わせ、棋士総会の議事進行まで一手に引き受けて、原案通り対局管理規定が成立。平本さんの苦心が実ったわけだ。

著作権に詳しい弁護士を日本棋院顧問弁護士に迎え、作業を進めました。内容を噛み砕いて説明すると、『対局者は対局料を対価として、対局棋譜著作権日本棋院に譲渡する』というものです。このことは、対局管理規定の冒頭に明記されています。ただ、原著作権は対局者にありますから、たとえば自分の著書に使うという場合などは自由です」

日本棋院は公式サイトの中で「棋譜は著作物です。」と主張しています。上記の記事ではそもそも棋譜に著作物性があるかどうかという検討はしておらず、棋譜が著作物であることを前提する立場から、それをどう処理すべきかという問題に絞って話をしています。

棋譜に著作物性があることを前提にするなら、その原著作者が2人の対局者であることは明らかだと思われます。そのため、日本棋院棋譜を集約してデータベース化し公開するには、契約によって、対局者から許諾を得るかまたは著作権を譲渡してもらう必要があり、日本棋院では後者が選ばれたようです。(前者で不都合な理由は不明です。)棋譜が著作物であると主張するのであれば、その著作権を法的に明確な形で処理する必要があることは当然です。日本棋院では、対局者が日本棋院著作権を譲渡し、新聞社などの棋戦主催社はそれを紙面に掲載する許諾を得る形で契約が書かれていることがわかりました。

最後の「ただ、原著作権は対局者にありますから、たとえば自分の著書に使うという場合などは自由です」という文は意味がよくわかりません。著作権を譲渡してしまったら、原著作者といえども、著作権者の許諾なしに著作物を複製・上演などすることはできません。契約の中で、対局者が自分の棋譜を自由に利用できるという条項があるということかもしれませんが、では他の棋士棋譜は著書の中で自由に利用できないのかなど疑問が残ります。この「対局管理規定」がどこかで公開されているかどうか検索してみましたがわかりませんでした。

日本将棋連盟は、棋譜の著作物性を主張するのかどうか不明確な態度を保っていますが、内部の契約がどのように書かれているかは気になるところです。

YouTubeでの動画削除

リアルタイムで見ていなかったので事実関係がよくわかりませんが、2010年10月にこういう話がありました。

YouTubeの名記譜解説シリーズの中の羽生-加藤戦に対し、NHKからYouTubeに対し著作権侵害の申し立てが行なわれ、アクセスできなくなりました。ただ単に有名な5二銀の記譜をPC上で並べて解説をしたもので、NHKの映像など一切使用していません。

私はその動画を見ていないのですが、この文章のとおりだとすると、NHK杯戦の棋譜を除いて、放送された映像を利用していないにもかかわらず、NHKおよびYouTubeから著作権法違反とみなされたということになります。NHK棋譜が著作物だと認識してその著作権を行使したつもりなのかもしれませんし、単に、NHKNHKという単語のある動画に一律に削除依頼を出して、YouTubeは中身を検討せずにそれに応じたという流れ作業的な話だったのかもしれません。もし前者だったとして棋譜の著作物性を肯定する立場から論じるとしても、2つの論点がありそうに思います。

放送事業者の著作隣接権

前項で、日本棋院は棋戦主催社著作権を譲渡していないという話がありました。これは日本将棋連盟でも同様と思われますので、NHKNHK杯戦の棋譜著作権者ではないはずです。しかし、NHKは放送事業者として番組に関する著作隣接権を有しています。著作権法98条には次のような規定があります。

放送事業者は、その放送又はこれを受信して行なう有線放送を受信して、その放送に係る音又は影像を録音し、録画し、又は写真その他これに類似する方法により複製する権利を専有する。

したがって、棋譜の著作物性のいかんにかかわらず、NHK杯戦の録画や録音を許諾なしにYouTubeにアップロードすることは著作権法違反になります。しかし、これが棋譜の複製にまで及ぶかどうかは必ずしも明らかではありません。記録係が読み上げた指し手を将棋ソフトに再現することが「これに類似する方法」であるというなら、著作隣接権が関わってくる可能性もありますが、私には無理筋の主張に思えます。

引用の範囲

件の動画では、棋譜に解説を加えていたということでした。棋譜の著作物性を肯定する立場であるとしても、解説を加えることによって棋譜部分は著作権法で認められた引用であると主張することはできそうな気がします。その場合は、引用が必要最低限に収まっているかどうかが問題となり、具体的には個別にケース・バイ・ケースで判断されることになるでしょう。

4月27日追記:

takodoriさんのコメントで教えていただきました。

NHKから連絡が入りました。今回の侵害申し立ては、自動検索を使って一括で行なわれたものであり、映像を使用していないのなら全く問題ない、とのことです。今回の件においては、棋譜の権利を主張する意図では全くなかったようです。

ということで、結局、問題なしということになったそうです。上記の文章はあまり意味がなかったということになりますが、仮想的状況での考察という意味で残しておきます。(追記ここまで)

しろねこさんの活動

柿木義一さんの応援HPを運営されているしろねこさんが、2010年8月から、将棋における著作権問題に精力的に取り組まれているようです。把握し切れていませんが、下にリンクを張っておきます。

2010年9月23日に書かれた将棋の「棋譜」の著作権まとめ1: しろねこブログ1がとりあえずのまとめのようですが、それ以外にもいろいろあり、私には追い切れませんでした。

Wikipediaの記述

ご存じの通り、Wikipediaは手軽に参照されることが多く影響力の大きな媒体です。この問題に関しては上記ページに「棋譜著作権」と題する項目があり、それほど長くはないものの記述がありました。

まず、日本将棋連盟のこの問題に対する態度について、現在は次のように書かれています。

日本将棋連盟は、過去には法的根拠は無い(棋譜著作権は無い)とした上で、収入問題に発展しかねないので頒布を控えてほしいとの「お願い」をネットコミュニティに対して行っていた[9]が、最近では、棋譜著作権ありとして、許諾を得ない掲載や転載を禁じているケースもあり[10]、必ずしもスタンスは一定していない。一時、江戸時代の棋譜著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。

著作権は別にして、将棋連盟の主な収入が棋譜掲載の権利によることから、棋戦スポンサーである新聞社の優先掲載権に対して一定の配慮を行うというポリシーを取る棋譜掲載サイトも多いが、一方で全く配慮せず自由に掲載するサイトもあり対応はまちまちである。 また、大規模な棋譜データベースサイトも運営されている。

上記の記述はおおむね妥当だと思います。この記述は2010年12月28日に書かれたもので、それ以前は次のように書かれていました。

日本将棋連盟は、棋譜は創作性のある表現であるとし、許諾を得ない掲載や転載を禁じている。一時、江戸時代の棋譜著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。

マチュアにとっては自由に扱えるほうが望ましいが、将棋連盟の主な収入が棋譜掲載の権利によることが問題を複雑化させている。

法律上問題はなく堂々と利用すべきとの意見から、より高い水準の将棋を見るには現状のままが望ましいという声まで様々で、未だ定まった判例はなく、アマチュアの将棋の取り扱いも様々である。

ここでは、日本将棋連盟棋譜の著作物性を主張しているかのように書かれているのですが、公式サイト(shogi.or.jp)上では、棋譜著作権に関する記述はありません。私の知る限りでは、そのほか公式文書と言えそうなものはサイト利用規約:大和証券杯ネット将棋公式ホームページしかなく、現状では、日本将棋連盟棋譜著作権を主張しているとする根拠には弱いと考えています。

次に、同じく2010年12月28日に次のような文章が追加されました。

棋譜著作権があるのか否かについては、過去さまざまな議論が行われており、法律の専門家の中にも著作権ありとする見解[7]があったが、2007年に渋谷達紀による著作権を否定する見解[8]が出されて以来、知財法の専門家の間では棋譜著作権無しとみなされている。一方で、ゲームを統括する団体によっては、独自の判断から著作権ありと主張している場合もある。但し、裁判に訴えた事例は無い為、いまだ判例は存在しない。

注釈[7]は、加戸守行『著作権法逐条講義 五訂新版』(2006年、著作権情報センター)で「(著作権法10条第1項の例示に収まらない著作物の例として)例えば碁や将棋の棋譜というのがあります。棋譜も私の理解では対局者の共同著作物と解されますけれども、本条第1項各号のどのジャンルにも属しておりません。」と書かれていることを指しています。これに対して、注釈[8]で、渋谷達紀『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』(2007年、有斐閣)がその見解を批判していることを紹介しています。

たしかに、2007年の渋谷『知的財産法講義II』の出版以降に新たに棋譜の著作物性を肯定する見解を出した専門家を見たことは私はありません。しかし、もともとこの問題に関心を持つ専門家はほとんどいなかったわけですから、現状でも「過去さまざまな議論が行われており」というには足りない程度の議論しかなく、「知財法の専門家の間では棋譜著作権無しとみなされている」と断言するのは時期尚早なのではないかと思います。専門家でもそんなことは考えたこともないという人が一番多いのではないでしょうか。

『逐条講義』は「最も信頼のおけるわが国著作権法の解説書」と宣伝されているように、影響力の大きな解説書ですので、それが引用される事例はいくつかあります。今、本が手元にないのですが、中山信弘著作権法』(2007年、有斐閣)では、脚注において『逐条講義』で棋譜がその例であるとされていることを議論なく手短に紹介していたと思います。これをもって棋譜の著作物性に肯定的ということはできませんが、もし、棋譜に著作物性などあるはずがないという立場であればそのような書き方はしないと考えるのは自然でしょう。

ノート:棋譜 - Wikipediaを見ると、この部分を執筆されたのはYODA氏のようです。将棋の棋譜でーたべーすの運営者の方でしょうか。であれば、以前からそのような立場を取られていたのは理解していました。(しばらく前からつながらなくなっているので心配していましたが、将棋の海外伝播などについてのブログ: 将棋の棋譜でーたべーすの稼働についての情報によれば、サーバ移転に伴う一時的なもののようです。)

次の毎日新聞の記事の話などを見ると、「知財法の専門家の間では棋譜著作権無しとみなされている」という状況に近づきつつあるのかなという感触はあります。もし『逐条講義』の次の改訂版で当該箇所が修正されるようなことがあれば、「棋譜著作権無し」で問題なくなるのではないでしょうか。

毎日新聞の記事

毎日新聞の2011年3月15日付夕刊に、棋譜著作権に関する記事が掲載されました。新聞でこの話が正面から取り上げられるのは、私の知る限りでは初めてのことです。

記事は、囲碁棋譜約6万局を集録したCD-ROMが日本棋院に無断で販売されていて困っているという話から始まります。

囲碁の日本棋院、関西棋院将棋の日本将棋連盟は、棋譜は2人の対局者を著作者とする著作物であると主張する。著作物であれば、著作権が発生する。各団体は著作権者の代行者という立場を取る。

新聞や雑誌などで棋譜が使用される場合は、タイトル戦の開催契約などで処理済みという解釈だ。また日本棋院は「所属棋士棋譜を出版するなどにあたり、棋士の同意を要しない」など5項目の規定を設けている。

上記の書き方では、著作権が対局者から日本棋院に譲渡されていないように読めるので、上で紹介した平本弥星六段の話とも食い違っています。また、ここで、将棋の日本将棋連盟も棋譜が著作物であると主張していると書かれているのですが、少なくとも記事中で日本将棋連盟に取材した形跡はなく、何を根拠にそのように述べているか不明です。

続いて、記事では、著作権に関する著書のある弁護士の福井健策氏に話を聞いています。

−−そもそも棋譜は著作物なのか?

福井 著作物であるかどうかのポイントは、それが創作的な表現といえるかどうか。たとえば、野球の試合展開は、面白い表現を追求するというより、いかに勝利の確率を上げるかを追求した結果。表現面での創作性はなく、著作物とはいえません。将棋や囲碁棋譜も、懸命に勝利を追求した結果を、一定のルールで克明に記録したもの。いわば事実の記録物ですから、著作物には当たらないのでは。原則として、勝負を求めるたぐいのゲームとそれを記録するものは著作物に当たらないケースが多い。

−−囲碁大竹英雄名誉碁聖は“大竹美学”といわれ、美しい手を求める棋士で知られる。武宮正樹本因坊も「たとえ負けても、そんなひどい形の手は打てない」と常々言っている。それでも単なるデータ?

福井 面白い考えですね。私は囲碁をたしなみませんが、もし次の一手を、勝つためでなく、美しさのため、また、見る人への面白さのため選択するのであれば、その対局は「試合」ではなく「作品」であって、著作物となる可能性はあります。たとえれば、フリージャズセッションを再現した楽譜のようなものでしょうか。ただ、そこまでいえる対局や棋譜は極めてまれでしょう。ハードルは高いと思います。

このように、可能性を完全に排除するわけではないものの、棋譜の著作物性に関して否定的な見解を述べています。短いコメントなので細部まで突き詰めた話ではないでしょうけれども、基本的には、以前からある否定的見解と同様の理屈に沿ったものだと思われます。勝利を目指す最善手を選ぶ限りそこにはそれ以上の個性が表れないので創作的ではない。しかし、そこに「美しさ」のような別の目標が加わると、創作性が肯定されることもないわけではないかもしれないということではないかと理解しています。主張として目新しいものでないとしても、新聞記事の形で掲載されたのは大きな意味があることだと思います。

この記事に関して、『著作権法コンメンタール 上下』(東京布井出版、編著)などの著書がある弁護士の小倉秀夫氏はTwitterで次のように述べています。

指将棋の棋譜については著作物性は明らかにないでしょうね。そんなもの認めたら「初手から○○手まで」過去の棋戦と一緒だと著作権侵害になっちゃう。

「○○手」が実は300手だとかいうことならあまり影響はない気もしますがそのあたりはよくわかりません。

気になるのは、このような見解が、『著作権法逐条講義(五訂新版)』で棋譜の著作物性に肯定的な見解があることを踏まえてのものなのかどうかです。もし、『逐条講義』に反論する形でこのような否定的見解が出ているとすれば、より強い意味を持つものになるはずです。例えば、Twitter

くだらない話を福井健策弁護士が一刀両断の巻。むしろ、ネットで販売されてるとかいうCD-ROMの方がデータベース著作物に該当したりして(笑)。

というコメントをされている方もいて、実際そのように言いたくなる気持ちも理解できますが、『逐条講義』の記述を知った上ならば「くだらない話」ですまされない現状であることをわかってもらえたのではないかと思います。そうでなければ、私もこんなことを書いていたりしなかったでしょうし。

また、弁護士の伊藤雅浩氏が次の記事を書かれています。

棋譜著作権を殊更に主張しなければならない場面はそれほどないように思える。要するに,プロ棋士の対局結果にアマチュアが学ぶ(再現することを含む。)ことは問題がないわけだし,解説などの付加価値を付けたものについては,著作権によって保護される。これで十分ではないだろうか。

という部分に賛成します。

このように、福井氏の見解に賛同するコメントが多く見つかったのとは対照的に、この見解を疑問視する意見は見つけることができませんでした。