「人間将棋」の歴史

今日付けの日本経済新聞朝刊文化面で「『人間将棋』盤上の武者絵巻」という記事が出ていました。筆者は天童市商工会議所専務理事の辻輝彦氏。

人間将棋とは将棋駒に対応づけられた人間が動くことで進行する将棋のことですが、特に山形県天童市で毎年4月に行われるイベントが有名です。

日経の記事ではこのイベントの内容や歴史が語られています。

人間将棋は、甲冑をまとった武者や腰元にふんした人間が対局者の指示に従い、足付きの駒を担いで動かしていく勇壮な催しだ。一九五六年、日本一の将棋駒の産地である天童を宣伝するため、「将棋野試合」という名称で始まり、今年、五十回目を迎える。

初めのころは市長や商工会会長が対局するのどかな催しでしたが、しだいに全国に知られだし、1991年からはプロ棋士が対局を行うようになりました。

今の形になるまでに、いろいろな経緯を経ているのですね。このようなイベントを地道に成長させてきたのは、関係者の熱意があってのことでしょう。

このイベントの元になったのは「人間チェス」だったようです。

人間将棋は、太閤・豊臣秀吉がおいの関白秀次を相手に桜花絢爛の伏見城で、小姓と腰元を駒に見立てて野試合を楽しんだ故事にならった、という触れ込みだ。ただ、発案者の父は西洋の人間チェスを参考にしたらしい。

実際、イタリアのマロスティカ市には、人間チェスというイベントがある。天童市とは姉妹都市協定を結んでいて、昨年、私も見学に出かけた。人間将棋は武者姿だが、人間チェスは騎士姿で、見応え十分だった。人間将棋と人間チェスの交流ももっと深めたい。

この書き方だとわかりにくいですが、実際はこの「人間将棋」と「人間チェス」の類似が姉妹都市協定を結ぶきっかけになったようです。

天童市とマロスティカ市にそれぞれの祭りのことを伝えると、それは驚いた様子でした。遠く離れた日本とイタリアで、同じようなことがほぼ同じ年代に行われていたなんて、誰も想像していませんでしたから。これがきっかけで天童市とマロスティカ市との間に深いつながりができ、平成元年4月22日、姉妹都市の提携に至りました。