瀬川ブームの終焉

盛り上がっているときに「○○の終焉」とか「○○は終わった」とかいうタイトルで何かを書くと、通っぽく見えるというメソッド(笑)を使ってみました。まあ、すでに話題のピークを過ぎていることは誰の目にも明らかなので、断言のインパクトという意味ではすでに遅きに失していると言うべきかもしれません。

こんなことを書いてみたくなったのは僕は僕なりのの次のような感想を見たからです。

いい加減,瀬川さんばかりの露出は飽きてきました.

私も瀬川晶司四段の記事を追いかけてきたので、奨励会を退会して一度将棋はやめたけど……とか、将棋の楽しさを思い出して強気な手を指せるように……とかいう話はもう聞き飽きたという気持ちはあります。ただ、将棋関係以外のメディアが注目したのは、瀬川四段のチャレンジ精神であって将棋ではなかったと思います。つまり瀬川ブームであっても将棋ブームではなかったということです。そう考えると、瀬川四段の出番は他の棋士では替わりが勤まらないのでしょう。

とはいえ、瀬川四段がプロ初勝利を挙げ、そろそろブームは収まる頃合いになってきています。正直なところ、瀬川四段の本が日本将棋連盟から発売される1月中旬という時期ですら、遅いのではないかという気がしています。

ブームといえば、神崎健二七段も言及していました。

このコラムは週刊将棋12月21日号に掲載されたもので、「ブームは危険 にがい歴史を思い出し地に足着いた施策を」という見出しが付いています。「にがい歴史」というのは1996年の羽生七冠独占の際の次のようなこと。

こんな光景、96年にも経験した。羽生善治七冠フィーバーだ。あの時もひどかった。「ハニュウ・ゼンジって強いよな」。知り合いの話に「はっ?」。以来、その人とは将棋の話はしていない。あるテレビ局のワイドショーでは棋士を「ギシ」、将棋を指すを「打つ」とゲストが言い続けても訂正もなかった。

羽生さんがその年の夏に棋聖戦の防衛に失敗して七冠の座を明け渡すと、波が引くようにフィーバーは去った。

七冠の時期は将棋雑誌を買ったりしていなかったのでその頃の状況はよく知りませんが、持続したらそれはフィーバーではないわけです。波が引くことよりも、波が引いた後に何が残ったのか(それとも何も残らなかったのか)を知りたかったところです。

今回の瀬川ブームでは、知名度の高い棋士が一人誕生したという成果があります。それ以外には、将棋世界を読む人が増えたり、3500円の入場料を取って公開対局をしても人を集められることがわかったりということもありました。

瀬川四段を通じて多少なりとも将棋に興味を持った人をさらに将棋に引き込んで将棋人口を増やすなど、それ以上の成果を求めるなら、見出しで言うところの「地に足着いた施策」が必要になるということでしょう。その中身は今回のコラムには書かれていなかったので、次回待ちというところです。誰でもはじめは将棋に関する知識はありませんから、外から来た人を鷹揚に迎え入れる土壌がないとなかなか将棋を指す人は増えないでしょうね。

瀬川四段が特別扱いをされているとしたら、それは瀬川四段が将棋界にとって特別な人だからでしょう。そうでなくなれば自然と普通の扱いになるはずです。月並みですがそんなことを思いました。

もっとも、「ファンの喜ぶ顔がみたい」という発想を元に考えると、署名入りの扇子はほしい人がいるなら下位の棋士でもどんどん作ったらいいと思います。直筆サイン色紙みたいなものは下位の棋士でも書きますし、著書のサイン本もそうですので、扇子だけはファンがほしがっても書かないというのは変な話かと。

最後になりましたが、20日発売のサンデー毎日2006年1月1日号のグラビアページに「白星デビュー−将棋プロ編入の瀬川四段」という記事が掲載されています。