千日手規定見直しの提案への意見

週刊将棋12月14日付の「今、将棋界に必要なもの」のコラムで千日手規定見直しの提案が行われています。

はじめに以前からの私の考えを述べておくと、私は加藤一二三九段の意見に賛成の立場で、千日手は将棋の本質に関わると思っています。ですから、ルールの小手先の変更で千日手を取り除くのは困難と考えますし、対局の結果が千日手だったからといって直ちにその棋譜の価値が損なわれるとは思いません。そういう立場からの意見であることを前提にお読み下さい。

提案の中身に入る前に一つ気になったのですが、

かつては先手が手を変えなくてはいけない、とされていたとも聞き及ぶ。

というのは本当の話でしょうか。私の聞いた話では「攻めている方が手を変えなくてはいけない」だったと思うのですが、それとは別のルールで指されていた時期があったのでしょうか。

さて、このコラムでの提案は2つあるようです。一つは千日手になったときに「先後は変えないで指し直すべきだと思う。そうすれば千日手を狙って次は先手で勝負しようというケースは減るはずである」という提案。現在は千日手になるとそれまで後手で指していた棋士が先手番を持てることになるので、千日手は後手の成功とされています。これを変更して手番を変えないことにすれば、後手が積極的に千日手を狙うことは減ることになります。ただ、そのかわりに先手が千日手を避けることも不要になるので、全体として千日手が増えるか減るかはわかりません。個人的には変わらないと予想します。ただ、それ以外の部分でどんな影響が出るかは考えてみる価値はあるような気がします。

コラムには「(手番を)なぜ変えるのだろうか。浅学非才で知らない。」と書いているのですが、一般には手番を変えることにより後手の不利を和らげる役割を持たせたと理解されているような気がします。しかしこれが歴史的に正しいのかどうかは、私にとっては興味深いのですが残念ながら知りません。記者として関係者に質問したり様々な資料に触れたりできるのですから、調べて書いてくれたらよかったのにと思いました。

もう一つの提案は次のようなものです。

囲碁界には「コウ」というルールがある。同形反復の禁止である。ならば将棋界も、たとえば4度繰り返すと成立する千日手の、まさに成立直前の一手は手を変えなければ負け、くらいにルール改正をすべきだと思うがどうだろう。

「コウ」は囲碁の同形反復の中で最も単純な形で、2手一組で元の局面に復帰します*1。それが続くと困るので、囲碁ではコウの形になったときにその直後の手で取り返すことが禁手とされています。コウになったらその直後の手で取り返すことのないように、他の部分で相手が手抜きできない手(コウダテ)を打ってから取り返すことになります。これを将棋に適用しようというのが上記提案です。

私はこの提案に明確に反対です。このようなルールでは千日手判定が煩雑になるだけでなく、玉を詰ますという争いとは別の次元の争いを生み出すためです。

囲碁の同形反復のほとんどはコウで、それよりも複雑な繰り返し手順(三コウ、長生など)は実戦ではめったに出現しません*2。これに対し、将棋の千日手では最短の繰り返し手順でも4手一組。それに多くの場合は可能な繰り返しは1通りではありません。それだけ同一局面が出てきたかどうかをとっさに判断することが困難になります。囲碁で思わずコウを取り返してしまって反則負けする棋士はときどき見られますので、将棋では同じことがさらに高い頻度で起こることになるだろうと思います。

もう一つの問題は、「コウダテ」を打っていくのに類似した争いが、将棋で玉に迫るという概念とはだいぶ毛色が異なっているということがあります。できるだけ話を単純化するために部分図を作ってみました。

後手の持駒:なし
  9 8 7 6 5 4 3 2 1
                                                        • +
v玉 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ と と と ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 歩 歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 金v圭v歩 ・ ・ ・ ・ ・
玉 桂v金 ・ ・ ・ ・ ・ ・
                                                        • +
先手の持駒:金  手数=1 △7八桂成 まで 先手番

今、後手が△7八桂成 と桂を成ったところです。この手は△8八成桂 以下の詰めろですから受ける必要がありますが、この局面で先手の受けは▲7八同金 しかありません。

後手の持駒:なし
  9 8 7 6 5 4 3 2 1
                                                        • +
v玉 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ と と と ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 歩 歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 ・ 金v歩 ・ ・ ・ ・ ・
玉 桂v金 ・ ・ ・ ・ ・ ・
                                                        • +
先手の持駒:金 桂  手数=2 ▲7八同金 まで 後手番

後手玉は受けのない2手すきなので、後手は先手玉に詰めろの連続で迫らなければなりません。そう考えると先手も後手も指せる手は限られており、普通のルールであれば以下のように進展し、上記の局面が4度登場することになります。

△同 金   ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金   ▲8八金
△7九金打 ▲7八金 △同 金   ▲8八金 △7九金打 ▲7八金
まで14手で千日手

これで千日手になるのが現在のルールでの結論です。ところが、提案にあるルールではこれでは先手負けですので、先手は手を変えなくてはなりません。そこで、▲8八金 と受けるところで、一度▲8三桂 と王手をしてみます。これに対して後手は△8一玉と逃げるしかありません。

後手の持駒:金 
  9 8 7 6 5 4 3 2 1
                                                        • +
・v玉 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ 桂 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ と と と ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 歩 歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 ・v金v歩 ・ ・ ・ ・ ・
玉 桂 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
                                                        • +
先手の持駒:金  手数=5 △8一玉 まで 先手番

ここから先ほどと同じように進めると、今度はこの局面が最初に4度目となる同一局面になります。

▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金   ▲8八金 △7九金打
▲7八金 △同 金   ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金
まで17手で千日手

提案のルールでは、今度は後手の負けとなっています。しかし、後手は手を変える余地がありませんので、結局先手の勝ちとなります。つまり、桂による王手が「コウダテ」の役割を果たしたことになります。

これは非常に単純な例でした。このルールが導入されると、この程度の図は見た瞬間に先手勝ちと判断できなければならないわけです。駒数が増えてもっと複雑な局面になれば、「コウダテ」がどちらに多いかを判断する必要がありますし、どの局面で同一局面になるかも一瞬で判断できる必要があります。例えば、相手の馬で自分の飛を追いかける展開になったときに、このルールの下ではどこに逃げるべきかを決めるのは容易ではありません。パズルとしては面白いのですが、これは果たして将棋でしょうか。私は違うと思います。

最後に上の例で使った部分図の棋譜の全体を付けておきます。

後手の持駒:なし
  9 8 7 6 5 4 3 2 1
                                                        • +
v玉 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ と と と ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
歩 ・ ・v桂 ・ ・ ・ ・ ・
香 歩 歩 ・ ・ ・ ・ ・ ・
香 金 ・v歩 ・ ・ ・ ・ ・
玉 桂v金 ・ ・ ・ ・ ・ ・
                                                        • +
先手の持駒:金  後手番 △7八桂成 ▲同 金 △同 金 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 *2度目の同一局面。 △同 金 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 *3度目。 △同 金 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 まで14手で千日手 変化:4手 ▲8三桂 △8一玉 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金 *今度はこれが2度目の同一局面。 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金 *3度目。 ▲8八金 △7九金打 ▲7八金 △同 金 まで17手で千日手

*1:ご存じない方はコウ - Wikipediaをどうぞ。

*2:具体的な数字は知りませんが、プロの対局の0.1%未満のはずです。