観戦記のいい加減さ

コメントでid:kokada_jnetさんに教えていただいた話題。BOOKMANの会という会合で山岸氏が、将棋界の問題点について述べたそうです。

今日の幹事は柳瀬徹くん。将棋好きな彼の趣味を反映して、某大手出版社の山岸さんをお迎えして、おハナシを聞く。将棋を取り上げるジャーナリズムやライターが、「盤上」(将棋という競技そのもの)の魅力を論じることをせず、棋士のパーソナリティやゴシップを書くことでごまかしてきた、と山岸さんは怒る。たしかに、新聞の将棋欄の「観戦記」はいかにいい加減であるか、資料として配られたコピーを見てよく判った。この会のメンバーでは、将棋を知っているのは柳瀬くんの他に魚雷さんぐらい。でも、山岸さんの話を、各自が別のジャンルやテーマに置き換えて、興味深く聴いたようだった。

今日の発表者は柳瀬君の知り合いの某出版社勤務で、将棋に命をかけるYさん。本業の仕事より、将棋の雑誌に連載したり、本を編集したりに命をかけている凄い方。将棋の衰退と将棋ジャーナリズムの関係について、というような話だった。将棋の話ではあるが、普遍的な内容で面白かった。

この書き方からしてここに登場する山岸氏は、昨年度の将棋世界で人気の連載「盤上のトリビア」を書いていた山岸浩史氏なのでしょう。たしかに「将棋という競技そのものの魅力」を伝える連載だったと思います。

おそらく、棋士の個性を書こうとする方が楽なんでしょうね。棋士の言葉やエピソードを書いておけば、原稿は埋まりますから。それに比べて、将棋そのものに迫ろうとすると、自分の中に確固とした将棋観を持った上で、初めからきっちりと方針を立てて文章を組み立てなければなりません。やりたくてもできなくて暗中模索している人もいるのではないかと思います。

ただ現実には、棋士の個性どころか、ただの解説付き棋譜とさして変わりない観戦記もあります。私の場合、最近はそういう観戦記に慣れてきてしまったので、ポイントとなる変化が記してあればそれで良しと思ってしまうほどです。本当は一つのノンフィクション文学として語れるくらいの内容があったらいいんですけどね。