梅田氏の更新から『とっておきの相穴熊』

今月前半の梅田望夫氏の怒濤の更新に圧倒されました。

どれも興味深いのですが、将棋本という観点からは「『空白の二十年』を埋める営み(現代将棋を学ぶ) 」に特に興味を惹かれました*1。ここで紹介された将棋本は私も熱心に読んだものがほとんどで、そのときの興奮がよみがえった気がしました。さて、この記事に対する別の方の感想で次のようなものがありました。

tokoroten999 これみてわかるのは「昔の二十年など今の一週間で取り戻せる」ということだよな。

梅田氏が今回振り返ったのは矢倉が中心で、このほかにも角換わりや横歩取りなど実戦でたくさん指されている定跡はまだまだありますが、そういったことを除けば上のコメントは正しいのかなと思います。ただ、それが可能になったのはこの20年間に発行された将棋本の蓄積があってこそであり、そのような蓄積のある分野は意外に少ないのではないでしょうか。効率の良い学習は、多数の努力の積み重ねで支えられています。

実際、平成に入ってから将棋本は着実に進化を遂げてきたと思います(それ以前も進化はあったはずですが、よく知らないのでそれ以後の話が中心となります)。昔も良い本はたくさんあったのですが、その良い内容を伝えるための技量というものが少しずつ改良されてきて現在に至るという印象を持っています。ただ、具体的にどのあたりが改良されてきたかを指摘するのは私には荷が重いので、個別の本でここが良かったという話にならざるを得ません。昨年発行の一冊を取り上げることで、私がどのような点が好きだと思って読んでいるのか、間接的にでも伝わればいいなと思います。

この本は昨年発行の本の定跡書の中で上位に入ると私は評価しています。一つの売りは、相穴熊というこれまであまり単独では取り上げられてこなかった戦法に着眼した点でしょう。(相穴熊だけでまるまる一冊というのは『東大将棋ブックス 四間飛車道場 第7巻 相穴熊』以来ではないでしょうか。)相穴熊はアマチュア間でもよく指され、独特の感覚を必要とされる部分があるわりには、それを解説する本はあまり出てこなかったという点で、需要をよくつかんだ企画だったと思います。

しかし、広瀬五段がまえがきで次のように書いているように、最大の特徴は別の部分にあります。

本書の特徴はなんど言ってもプロとアマの共著であること。二人の読みや考え方の違いを対話形式で進めていることが面白いと思う。

たしかに、対話形式の将棋本は、純粋な対談を除けばあまり思い当たりません。『村山聖名局譜』で羽生・先崎が語り合っているのが印象に残っているくらいでしょうか。そこで二人はどういう話し方をするのかという興味をかきたてられるという意味があったのとは違い、『とっておきの相穴熊』では話し方ではなくやはり話の内容に興味が集中することになります。実際、編集の仕方も話し方に関しては特徴を出さないようにしている感じがします。

対話形式以上に特徴的なのが、プロ・アマの共著という点でしょう。先例があったかどうか思いつきませんが、穴熊を得意としている広瀬五段と、やはり穴熊で有名なアマチュア強豪の遠藤氏の組み合わせというのは適任であったと思います。そして、この二人が意見を述べ合うことでより豊かな内容となるという狙いがあったのでしょう。しかし、まえがきを見ると意見を述べ合ったことの効果が狙い通りに得られたのかは微妙な感じも見えてきます。

お互いの意見を述べ合うことで、私自身勉強になることが多々あった。

これが広瀬五段の書き方。そして、遠藤氏は次のように書いています。

こと相穴熊に関しては私も自分なりに磨いてきた感覚に自負があるので、それほど大きな違いはないのではないかと思っていた。ところが、残念ながらというか当然ながらというか、広瀬さんの感覚は私の想像のはるか上を行くものだった。

遠藤氏の言葉には謙遜やプロを立てる意識が含まれているはずですし、広瀬五段の文も正直な気持ちを表したものだろうと思いますが、出来上がった文章を私が読んだ印象では、遠藤氏がこんな手はどうでしょうかと言うのに対し、広瀬五段がそれもありそうですがこういう手がより良さそうですと言って、遠藤氏がなるほどそうですねと受けるという流れが多く、結果として広瀬五段はすごいと、穴熊なら無敵なんではないかという勢いで最善手を指摘しているという感じでした。もちろん、広瀬五段も負けるときは負けるし、遠藤氏もプロと指せばそこそこの勝率で勝つはずです。実際の実力差がどのくらいかは私程度では全くわかりませんが、プロが絶対に強くてアマがまったく歯が立たないという印象よりは差は小さいはずだと思います。一つの理由は、取り上げられた実戦に広瀬五段自身の対局が含まれていて、そのような場合にはすでに検討済みだったりしてすぐに明快な指摘ができるというようなこともあるのかもしれません。

このようにプロとアマに差があるように見せることが実際の企画意図なのかはよくわかりませんが、少なくとも結果としてはそうなっているような印象がありました。しかし、それがこの本だけに特徴的なのかというと、実はそうでもないように思います。というのも、テレビの将棋講座や実戦解説の聞き手役を遠藤氏が務めていると思うと自然に読めるからです。聞き手にしては指摘が的確ですが、以前千葉涼子女流三段がNHK杯戦の聞き手を務めていたときに、ときどき解説者を上回るような指摘をしていたようなものかと思います。そう考えると、この形式も自然に受け入れられるし、だからこそこのような編集に落ち着いたのかとも思えます。ただ、NHK杯将棋講座テキストでこういう書き方をしているのは、私は読んだ記憶がないので、この本の独自性がそれで失われるわけではありません。(余談ですが、NHK将棋講座のテレビでの台本を元に作られた単行本があっても面白いかもしれませんね。)

とはいえ、対話形式にも欠点はあります。例えば、「▲6五銀!次から次へとすごい手が出てきますね。」というような言葉は対話形式ならではのリズム感を生み出す役割を果たしている反面、局面における手順を伝えるという意味では、限られた紙面を解説ではない文で埋めることで全体の密度を下げてしまっています。このような欠点を意識してかどうか、活字になったそれぞれの言葉はかなり実質的になっており、おそらく二人が実際に発した言葉を編集段階でかなりそぎ落としているのではないかと推測します。だとすると、単著で変化手順やその意味を順番に書いていく通常の形式と比べて、編集の手間はだいぶかかっているのではないかと思いました。この本は対話形式にして成功だったと評価していますが、表面だけを真似て、対話をそのまま文章化するような中身の薄い本が出てこないといいなと思います。

ここまで、形式面について長々と書いてきましたが、内容が充実していなければ良書と呼べないことは言うまでもありません。この本は内容面でも特徴的な点があります。第1章は相穴熊の序盤の定跡形にさらっとと触れているだけですが、第2章の「相穴熊における終盤戦の考え方」がなかなか面白いです。終盤戦の考え方というと、必死、詰めろといった詰み周辺の部分を扱うのが普通でしたが、ここでの終盤戦はお互いに大駒を成り込んだ後といった終盤戦の入り口的な局面が多く扱われています。そこから、と金を作るとか、端攻めが有効とか、玉頭戦でどうなるかとかいう解説があり、いかにも実戦的な気がします。これは、実戦を題材とした第3章でも同じ方向性であり、序盤が余り扱われていないという意味では定跡書と呼ぶのはふさわしくないのかもしれないとも思わせられます。しかし、これは中盤から終盤の入り口という最も実力差が出やすい部分での定跡化を目指したものとも言え、その意味では定跡書と読んでも間違いではないでしょう。相穴熊はそのあたりの類型化がやりやすい戦形であることも大きな要素です。

序盤を扱う本は昔からたくさん出ていました。また、詰みに近い局面で定型的な考え方も「ゼット」という概念の登場でかなり整理されてきた感があります。そこで残されたのが、中盤から終盤の入り口に書けてどのような指針を持って指したらいいかという課題です。浅川書房の『羽生善治の終盤術』シリーズはその部分に焦点を当てた良書だと思いますが、やはり多様な局面をまとめて統一的な考え方を与えることはいまだに難題のように思えます。『とっておきの相穴熊』でもその部分に答えが出ているとは言えませんが、相穴熊という限定された戦形の中で、実戦の局面における様々な考え方を示すことで、読者に穴熊の感覚を身につけさせるような書き方になっているのではないでしょうか。

ここで大切なのが、言葉を使って考え方を示しているという点です。こう指すのは、相手にこう指されてよくないと書くのは、因果関係がはっきりしていて一見したところ明確な書き方に見えますが、その手順が他の局面にどの程度応用が利くのかが明らかでないという点ではただ書いただけになりかねません。強い人であれば棋譜を見ただけでその意味を理解できるのでしょうけれども、本を買う人はたいていの場合層ではないわけです。手順がどのような考え方に基づいて指されたのかを、考えられる要素を凝縮する形で言葉にすることは、近年の多くの名著の特徴であると私は考えています。『とっておきの相穴熊』はその点でよくできた良書ではあるものの、歴史に残る名著と言えるほど感動的な要素が詰まっているとまでは言えないかなと感じました。

最後に、形式面で目に付いた粗を一つ指摘して終わりたいと思います。上で述べたように、この本では手順を話している部分と、考え方を言葉にしている部分の両方があります。そして、それらは常に同じ割合で分布しているわけではありません。結果として、図面と図面の間で手数がかなり進んでしまう部分と、ほとんど進んでいないのに次の図が出てくる部分とで、だいぶむらができてしまっています。これは、1ページにつき図面が2つという定型を維持しているところからくる欠点であり、話された棋譜が少ない部分では図面を省略した方が読みやすかったのではないかと思います。編集時の手順としては、1項目の文章量を見てページ数を決め、それによって図面の枚数が決まり、棋譜に対して均等な感じで割り振っていくという形ではないかと推測しますが、本来は棋譜を見て必要そうな部分の図面を作り、その枚数と文章量の比率を見て図面の割付を決めるという手順ではないかと考えました。浅川書房はそのあたり柔軟に作っているように思います。文章と図面の比率は、定跡書の性格を形作る上で最も大きな要素の一つであり、その部分に意識的にならなければ内容を効果的に伝えることができないというのが私の意見です。

そういったことはあるものの、全体としては良書であり、穴熊を指す人ならば読んで損はない、というか読むべき一冊です。こういう試みが今後も続けられると面白いなと思いました。

*1:これは特に労作だったと思います。参考:http://twitter.com/mochioumeda/statuses/694250062