「将棋倒し」と「群衆雪崩」

11月27日12月1日の話の続き。

本日、明石市の花火大会で起きた事故の責任を問う判決が出たので、各社の表現を比較してみました。

2001年7月21日夜、兵庫県明石市のJR朝霧駅と海岸を結ぶ歩道橋で群集雪崩が発生し、花火見物の258人が死傷した。

午後8時40〜50分ごろ、雑踏警備の不備から、会場へ向かう人波と駅に戻る人波とがぶつかる状態となり、多数の見物客が折り重なって転倒する「群衆雪崩」が発生。

01年7月21日夜、兵庫県明石市の大蔵海岸で開かれた花火大会で、会場とJR朝霧駅を結ぶ歩道橋上に見物客が滞留。群衆雪崩が起きて、11人が死亡、247人が負傷した。

2001年7月21日夜、兵庫県明石市で開かれた市主催の花火大会会場と最寄り駅を結ぶ歩道橋に見物客が密集し、大規模な転倒事故が発生。

花火大会の会場ルートの一つだった歩道橋(長さ約100メートル、幅約6メートル)に約6400人が滞留して大規模な転倒事故の危険性を予測できながら、

判決によると、花火大会に集まった観客は午後八時時点で約十三万人。歩道橋は同六時ごろから混雑し始め、同八時半ごろには南端手前で一平方メートル当たり最大で約十三人を超える密集状態となり、同八時四十分−五十分ごろ群衆崩落が起きた。

判決によると、5人は01年7月21日夜の花火大会で、最寄り駅と会場を結ぶ歩道橋上に見物客が滞留していたのを認識していたのに、規制措置を取らず放置し多数を転倒、死傷させた。


このように「群衆雪崩」という用語が多くの記事で用いられています。朝日新聞の記事のように、かぎかっこ付きで用いられることもあり、一般にはなじみの薄い用語であることを意識している様子が見て取れます。

将棋倒しが世界から消えていくの答えとして、この言葉が「将棋倒し」のかわりに用いられていくのかなあと思っていました。ところが、調べてみるとそうではないようです。

この「群衆雪崩」という言葉は、この事故の事故調査委員会の報告書でも用いられた用語です。そして、専門的には「群衆雪崩」と「将棋倒し」は別の現象を表すそうです。(参考:第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書

明石市で起きた歩道橋事故で同市が設置した事故調査委員会(委員長=原田直郎・元大阪高裁長官)は二十二日、事故発生のメカニズムについて「将棋倒しではなく、群衆雪崩」との見解を明らかにした。

中略

委員長は「一方向に圧力がかかり、同一方向に人が次々と倒れるのが将棋倒し。群衆雪崩は、相反する力がぶつかり合い、もみ合いが生じて起こる転倒現象。将棋倒しよりもかなり複雑なメカニズム」と解説。その上で「関係者からの聞き取り調査で事故状況を踏まえた上、専門家である委員の視点から、群衆雪崩が適当と判断した」とした。

したがって、この事故を「将棋倒し」と表現することは正しくないことがわかりました。しかし、これは同時に「将棋倒し」にかわる用語が難しいという困難をさらに深めるものでもあります。今後も機会があれば各報道機関の記事に注目していきたいと思います。

12月18日追記

書き方が悪かったので改めて書き直します。

「群衆雪崩」という用語については詳しく調べていないのですが、おそらく新しいものだと思われます。しかし、「将棋倒し」と呼ばれていた現象を分類するにあたって、原因が異なり別の対策を求められる事象があるならば、それを別の用語で呼ぶことはおかしいことではないと考えています。上の記事や事故調査報告書に記載されている通り、現在専門家が用いている用語としては「将棋倒し」と「群衆雪崩」は、似ているけれども別個の事象をあらわす表現として用いられており、そのような意味合いで「将棋倒し」と「群衆雪崩」を区別して用いて報道することは不自然ではありません。

とはいえ、歴史的な経緯を考えれば今回の事件を「将棋倒し」と形容することは、誤りでは全くなく、「群衆雪崩」も「将棋倒し」の一部の形態を表すとみなすことも可能です。

このように「群衆雪崩」という用語を認めるということは、「群衆雪崩」ではなく「将棋倒し」と呼ぶべき現象が存在することをも認めるものです。それはまさしく「将棋倒し」であり、「将棋倒し」と呼ぶよりないでしょう。不幸にして「将棋倒し」の事故が起きて多数の負傷者が出るようなことになったときに、マスコミ各社がどのような表現を用いて報道するのかを見守っていきたいと思っています。

付言すると、一ファンさんがコメント下さった「現行の将棋が成立する前から、「将棋倒し」は使われていた、将棋連盟のクレームは笑止千万、それに合わせる新聞社もおかしい、と思います。」というご意見と基本的に同じ考えを、私は以前から持っています。マスコミの姿勢についてはすでに様々なところで議論されているので割愛するとして、「将棋倒し」という用語を報道から駆逐することによって将棋界が得られるものは何もなく、むしろ多くのものを失ったと言えるだろうと思います。

ところで、「今の将棋歴史研究家も変なひとが増えましたね。」とのことですが、これがどなたを指すのかわかりませんでした。もし私を指すのだとしたら、私は将棋歴史研究家ではないと念のため申し上げておきます。将棋の歴史に関心はありますが、研究と言えるようなことは何一つしていません。

話は変わりますが、上の記事で「群衆」か「群集」かが統一されていないことに今になって気付きました。前者が多く使われるようですが、後者の例も見かけます。