千日手についていろいろと

(本当はじっくり書きたいテーマなのですが、とりあえずざっと書いてみました。とりとめない感じなのでそのうちちゃんと整理し直したいと思っています。)

将 棋 タ ウ ン 掲 示 板千日手論議が盛り上がっています。

これについて私の意見を述べる前に現在プロの将棋で千日手がどのように扱われているかを確認しておきましょう。

指し直し規定とその影響

ご存じの通り、日本将棋連盟の対局規定では次のように定められています。

第6条 指し直し

1. 千日手持将棋が成立した場合は、30分の休憩後、即日、先後を入れかえて指し直す。 指し直し局の持時間は両対局者の各残り時間とする。 片方または両方の対局者の持時間が、1時間に満たない場合には、少ない方の対局者の持時間が1時間になるように、両対局者に同じ持時間を加える。 ただし、初めの持時間を越えて加算することはない。

(後略)

今月のNHK将棋講座テキストの東公平氏のコラムによると、以前は翌日指し直す規定だったそうです。しかし、それを悪用して両対局者があうんの呼吸で千日手にし、リーグ戦の他の対局結果を見てから指そうとするなどの弊害が見られたため即日指し直しと規定が改められたということです。

そして、重要なのは先後を入れ替えるという部分です。この規定がいつどのようないきさつで導入されたのか知らないのですが、現在ではこれは先手に対するハンデとして機能しています。少し詳しく見てみましょう。

将棋年鑑序盤四手チャートによると、プロの対局の先手勝率は少なくともここ数年間一貫して5割を上回っています。おそらくそれ以前もそうだったでしょう。つまり、全く同等の実力を持つ2人が対戦したら、先手を持つ方が有利だということです。今、その両者をA,Bと呼ぶことにします。

A,Bが対局したときの先手番の勝率を仮に0.54とします。振り駒でAが先手番に決まったとすると、その時点でAは5割より大きい5割4分の勝率を期待できることになります。しかし、その将棋が千日手になってしまったとしましょう。すると、先手後手が入れ替わるので今度はAは後手番で指すことになります。したがって、期待できる勝率は4割6分まで落ちることになり、確実に損をします。先手番を持つ棋士にとって、千日手は望ましくない結果であるというわけです。

実際に多くの定跡書では、千日手に終わるような手順は先手にとって失敗、後手にとって成功の変化と位置づけられており、したがってそれより前の着手において別の手を指すことが求められるのは先手番であるということになっています。これは上記のような事情を反映したものと言えます。

千日手模様の局面における判断基準

上のように、先手番の棋士にとって千日手は望ましくありません。しかし、現実のプロの対局では数パーセントの割合で千日手が発生しています*1。これはなぜでしょうか。

昔の棋士のことはよく知りませんが、羽生・森内などの現代の棋士千日手そのものは特に嫌っていないように見受けられます。言い換えると、千日手にせずに勝つのも千日手指し直しで勝つのも同じ一勝ということです。この考え方は対局規定を読めば文字通りそうなっているわけですから、正しいと言うしかありません。そのような考え方を前提とすると、千日手模様の局面に直面したとき次のように判断するのが合理的と考えられます。

先ほどと同じように、A,Bで対局を行い、先手番の勝率が常に5割4分であるとしましょう*2。そして、Aが先手番となって対局が進むうちに千日手になったとします。AおよびBはどのようなときに千日手を打開し、どのようなときに千日手に甘んじようと思うでしょうか。Aにとっては次の4通りの可能性があり得ます*3

もし千日手に甘んじたとすると指し直し局でAは後手番になりますから、2-1.の確率は4割6分となります。今、打開して勝つのも指し直しで勝つのも同じことだとしていますから、結局、1-1.の確率が4割6分より高ければ千日手を打開し、4割6分より低ければ千日手に甘んじることになります。千日手を打開したときどの程度の確率で勝てそうかというのは完全にAの主観によるものであり、その主観に基づいて指し手の選択を行うのです。(ここで比較したのは、1-1.と2-1.であって、1-1.と1-2.ではなかったことに注意して下さい。)

つまり、Aが打開した局面を「やや不利」と感じていても、打開して勝てる確率が例えば4割8分はあると感じれば、Aは千日手を打開することになります。逆にBにとっては5割4分が分岐点となり、打開した局面を「やや有利」と感じていても千日手に甘んじることがあり得ます。したがって、どちらが打開しても打開した側が不利になるような局面では、両者とも千日手を選択するのが最善となるわけです。

千日手はつまらないのか

最初に述べたような、千日手の存在を批判する意見は珍しくありません。しかしその理由は一様ではなく、単純に議論するのは難しい状況です。そこで、網羅的ではないにせよ、いくつかの論点について意見を述べていきます。

プロ将棋の千日手でもっともよく見られるのは、特に穴熊戦などで金銀を玉の周辺に打ち合い取り合うタイプの千日手です。このように終盤に入ってからの千日手で、詰めろが続いたりしていると、プロ並みの棋力がなくてもどちらも打開したら負けになると明らかにわかるものもあります。そのような千日手は比較的批判の声が少ないように思われます。

とりわけ問題とされるのは、序盤、それも仕掛け前の千日手でしょう。例えば、右玉でひたすら耐えて千日手を狙うというような戦法は、ある人にとっては言語道断なのかもしれません。しかし、私はそのような千日手もつまらないとは思いません。

上で書いたように、千日手になったということはお互いに打開しても成算が得られないと判断したことを意味します。そのような判断の裏には、当然打開したときにこうなってこう来てうまくいかないという読み筋があるわけです。その読み筋を披露してもらえば、千日手局であっても十分楽しめるものとなります。森内俊之三冠が週刊将棋2003年1月22日号で言うとおり、千日手になるかならないかというような水面下の戦いも戦いなのです。

ファンの方は派手な戦いを期待されていると思います。しかし、水面下の戦いも「戦い」な訳です。

もしそれが理解されていないとすれば、それは将棋の魅力が十分に伝わっていないということではないでしょうか。加藤一二三九段は次のようなことを書いています。極論を言えば、将棋の本質は千日手と不可分であって千日手なしに将棋は成り立たないと言えるかもしれません。

千日手は、将棋にしか出現しない、セールスポイントなのである。一部に千日手批判説があるが、もしその説を長年棋界にある人が言うのであれば、私はその人に勉強し直すことをすすめたい。千日手が生まれるほど将棋は難しくきびしいものであり、人生にとっても簡単に答えが出せないような事柄はいくらでもある。繰り返して言うが、千日手は将棋のセールスポイントなのである。

とはいえ、将棋タウン掲示板にあるような千日手批判があることは理解もできます。昔は実際に千日手が騎士が楽をするための道具として使われたという記述がいくつか見られます。どこで読んだか忘れたのでまた確認したいと思っているのですが、昔の棋士で対局日の午後に別の用事があるために、さっさと指して千日手にしてもらって昼には対局場を後にするというようなことがあったそうです。これは無気力な千日手と言えるでしょう。このような将棋は批判されて当然ですし、なくさなければなりません。

無気力な将棋が悪いというのは千日手に限った話ではなく、だから千日手が悪いという理由にするには論理的に言って無理があります。それに、現在ではそのような棋士はいないと私は信じています。

千日手に悪いイメージがあったとしても、これからは認めていく方向に向かうべきではないでしょうか。千日手局も普通の対局と同じように解説してほしいと私は考えています。実際に最近の将棋雑誌では、タイトル戦の解説で千日手局も含めてページ数を割く例が増えているように感じています。

仕掛けのない将棋はつまらないかもしれないけれども、明らかな無理攻めもつまらない。面白い将棋というのは、どちらも全力で勝ちに向かって指す将棋ではないでしょうか。お互いの気迫がぶつかり合った結果、バランスが取れて引き分けとなるのであれば、それも見ているものにとって楽しめるものになるはずです。駒がぶつかり合った瞬間にはもう決着が見えていることも珍しくない現代将棋において、仕掛け前の局面といえども先々の手順を読まずに指すことはできません。その結果としてどうやっても仕掛けられない局面と判断したのであれば、千日手に甘んじることも止むなしです。

プロ棋士は勝つために指しています。勝つために全力で指して千日手にする棋士は批判されるべきではありません。そして、現代将棋での千日手はほとんどが勝つために最善と判断した結果としての千日手です。もし、打開したら負けそうだと思っているのに千日手を打開する棋士がいたとしたら、そちらの方が問題でしょう。

千日手をなくせるか

私の考えは上記の通りなのですが、それにもかかわらず千日手が不都合に思われる場面があることは否定しません。それは千日手指し直しによって、対局時間が大幅に延長される可能性があることです。プロの将棋であれば翌日の朝刊に間に合わないかもしれませんし、アマチュアのトーナメント戦の大会であれば指し直している間は次の対局が始められないために、会場を抑えてある時間内に大会が終わらない危険性が生じてくるかもしれません。この不都合は、むしろ持将棋に関しての方が深刻ですが、千日手でも困ることにかわりはありません。

そこで、対局規定の改定という方法でなくても、大会の規約の一部として千日手をなくすような方策がとれないかということは、真剣に検討されてきたことがあります。

千日手をなくす方策としてしばしば提案されるのが「千日手になったら先手負け」というものです。(例えば、鋼鉄の浮城持将棋と千日手をご覧下さい*4。)先手は千日手模様になったら必ず打開しなければならないので、そもそも千日手模様になりそうな展開を避けるようになるでしょう。その結果として、将棋が変質することが予想されます。

この「千日手先手負け」ルールは、アマチュアの大会で実際に採用されたことがあります。その様子は小池じゅうめい物語のその28からで描写されています。これを読むと、「千日手先手負け」ルールは将棋のあり方に大きく影響を与えそうだと思われるでしょう。

しかし、問題はそれだけではないと私は考えています。「千日手後手勝ち」ということは後手にとっては千日手と勝ちは同等です。したがって、現在はそれほど多くは指されていない、右玉戦法や、振り飛車穴熊といった、自分から仕掛けるのが難しいような戦法も後手番であれば非常に有力となってきます。千日手がつまらないというのは、そういった「自分から仕掛けない態度」が嫌われていたからでなかったでしょうか。「千日手先手負け」ルールは逆にそういった戦法を増やす方向に作用するのではないかと思われます。

それ以外の主張としては、「千日手は両者負け」という提案もありました。しかし、これは「千日手先手負け」よりもはるかに劣ると思います。というのも、将棋の基本的な性質であるゼロサム性を損ねるものだからです。先手が千日手模様に巻き込まれてしまい打開しても明らかに負けそうなとき、「自分だけが負ける」「自分も相手も負ける」の両方を比較して千日手の方を選択することは十分考えられます。そのような態度を後手が見て後手が打開してしまうようなら、何のためのルールかということになるでしょう。

私の考える可能な修正としては、指し直し局の持ち時間を変更することが考えられます。例えば、「指し直し局では千日手局で先手番だった棋士の持ち時間から3分の1を差し引き、それを後手番の棋士の持ち時間に加算する」というようなやり方です。

ただし、前に書いた判断基準に基づけばこうしたからといって千日手が減るわけではありません。単に先手がより不利になるというだけのことです。やはり千日手はなくせないのではないか。私は今のところそのように考えています。(いつかまた続きを書くかも)

*1:週刊将棋2003年1月15日号によると、1992年から2002年10月までの46410局のうち、千日手は860局。これは1,853%にあたる。

*2:実際には、勝率が持ち時間やそのときの気分などによって左右されることは十分あり得ますが、議論を単純にするために捨象して考えます。

*3:指し直し局がまた千日手になる可能性はないものとしました。

*4:余談になりますが、このページの持将棋に関する提案は面白いと思うので、そちらもご一読下さい。また、ルール改正もためらうべきではないという趣旨には全面的に賛同します。