秒読みの時間切れ判定に関して

2006年12月6日の順位戦A級で対局中断し理事会裁定 久保利明八段が時間切れ勝ちを主張の件に関してここにきていくつかの記事が出ていますのでまとめてみます。

先崎学八段の「浮いたり沈んだり」

2月1日発売の週刊文春2月8日号の「先ちゃんの浮いたり沈んだり」で先崎学八段がこの件について書いています。

さて、ここで問題なのは、さきほど述べたように弱い立場である記録係が「十」を果たして読めるかということである。

断言してもいいが、明らかに着手が遅かったのに、「十」と読まれて怒ったり、恨んだりする棋士はいない。奨励会員に怒りのほこ先を向けるようなことはありえない。ただし、奨励会員が「十」と口に出せるかどうかはまた別の次元のはなしだろう。余程度胸がよくないと無理である。なにせ目の前で指しているのは、憧れの棋士であり、その道での先輩なのだ。

棋士たるもの、必ず時間内に着手するはずだという美しい理論が根底にはある。それで、もめ事さえなければ素晴らしいのだが、今回の事例で分かるとおりそうはいかない。

性善説は美しい日本の文化である。将棋の世界は、このご時世にあって、その美しいものをよく守っている。棋士達はそこのところにプライドがあるから、今回のことも黙って、時が過ぎるのを待ち、「なかったこと」にしてゆくような気がする。よくも悪くも、そういう世界なのである。

神吉宏充六段の「ワンダフル関西」

2月3日発売の将棋世界3月号に掲載された「神吉宏充のワンダフル関西」でこの件が書かれています。

「5、6、7、8、9…」で慌てて指された桂成が、明らかに「?」。これは公式対局の終盤で私も経験したことがあるが、秒読みの最後の方になると、記録係の秒を読む声が急にゆっくりになり、「は〜ち、きゅうぅぅぅ…」になる。普通に考えれば数秒は経っているはずだが、マシーンのように「8、9、10!」と読むヤツはいない。いや、読めないのだ。何故か?それは「10」と読んで、時間切れした棋士に恨まれたくないからだ。今後の付き合いを考えると、修行中の奨励会員にはとても読み切ることが出来ないのが現状と言える。この時もそうだった。時間は経過していても、郷田に「10」と読み切れるはずもなく、着手される時を待っていた。そして慌てて指された手…「明らかに時間を過ぎているはずだ。ここでストップウォッチを止めておかしいと言うべきか…否、黙って指し続けるべきか? 時間切れで勝つのはあまり気分の良いものでもないし、将棋で勝ちたいし…」と久保は悩んだ。それが久保には大きなしこりとして残ったのだ。

「最後に時計を止めて郷田九段にあの時…と言ったら、わかっていたようでしたが『よくあることだから』と言われて悔しかったんです。今度は絶対その時言いますが、やはり公正にの観点から考えて、時計で秒読みにした方がいいんじゃないでしょうか?」と言われた。

難しい問題だが、久保の主張も理解できる。ただ、時計導入には新たな問題も起こるだろうし、何か妙案があれば良いのだが。

秒読みにまつわる問題

こうした記事を受けてウェブ上でも意見が出ています。

せんすさんが書かれたように「将棋界の外部への提示機能の第一は高度なゲーム性だと思うのですが、その要ともいうべきルールの適用に宥恕がありうる、というのはどうなんでしょう」という点は私も強く感じました。もちろん、上で書かれたのが実情なのかは検証されなければなりませんが、将棋界の外での仕事も多い先崎八段と神吉六段が書いているのだからそうなのだろうなと思います。

記録係が「10」を読みにくいというのはわからないでもありません。将棋はきちんと投了で決着がつくのが普通なので、そうでない決定を下すのはやりにくいということはあるのかなとは思います。そうであったとしても、他の競技のちゃんとした計時係であれば珍しい状況にたじろいで判定がぶれることは恥とみなされるはずです。

他の競技で言うと、例えばバスケットボールの24秒ルールではきちんと計時があるので1秒くらいならなどという甘さは全くありませんが、3秒ルールではちゃんと計っている人がいないのでそこまで厳密ではないような感じです。そのようにルールによって時間がどれだけ厳格かという点には幅がありますので、慣習的にこのくらいなら大丈夫という目安が決まっているなら問題にはならないはずなのですが、そのためには全員の間でその感覚が共有されている必要があります。

窪田義行五段によると、1月24日に行われた棋士会では「記録係に10をきっちり読む様、奨励会で指導を徹底する」という申し合わせがあったそうです。つまり、公式見解として、記録係は時計の秒針と同じタイミングで秒を読まなければならないということになったと解釈してよさそうです(このことは規定に明記されていません)。ということは、時間を過ぎてもこのくらいなら大丈夫という目安があるという説は無効になるわけです。

私の感覚でよく理解できなかったのは、時間切れ負けになる棋士への配慮から「10」を読みにくくなるのだという理由付けです。将棋は勝つ人がいれば負ける人がいるわけですから、時間切れ負けにならずにすんで得をする棋士がいれば、その相手は同じだけ損をすることになります。時間切れ負けする棋士に配慮するのに、その相手への配慮は不要とされるのはどうしてなのでしょうか。

先崎八段は「必ず時間内に着手するはずだ」という見方があると書いています。しかし、正確には「必ず時間内に着手しようとするはずだ」ではないでしょうか。記録係が「10」を読めないのを見越してわざと制限時間以上に考慮するような棋士はいないと思いますが、指そうとしたものの駒が手に付かなくてうまく指せなかったということは、指先での駒の扱いに慣れているプロ棋士でもときどきあることです。そして、問題が起きるのはそういうときです。黙っていて何も起きないなら良いのですが、果たしてそうなのかどうか。いずれにしても、久保利明八段は問題提起をしたわけです。

この問題の背景には、窪田義行五段が指摘するように、関係者間の力関係に関するねじれ現象があります。記録係は審判ではありませんが、計時については絶対的な権限を有しており、時間切れかそうでないかは記録係の一存に委ねられています。したがって、その点に関して記録係は対局者の上に立ちます。しかし、奨励会員はプロ棋士の下の地位にいます。「記録係=奨励会員」と「対局者=プロ棋士」はどちらが上か。これが問題なのでしょう。

とはいえ、その答えは決まっています。上のように等号で結ぶから困るのであって、対局中に限って記録係が上位とすれば問題は起きないはずです。そのような意識を徹底するには、逆にどんどん「10」を読んでいくようにするというくらいでちょうどいいのかもしれません。ただ、そこまでして徹底するほどの問題ではないという感じなのでしょうね。

可能性のある解決策

このような状況を解決するために、神吉六段は久保八段の時計の使用に関する発言を引用しています。時計というのは、対局時計のことだと思います。計時を記録係に頼らずに対局者が自分でボタンを押すようにすれば、この問題は完全になくなります。

私としては奨励会員が記録係を務めることはその会員のためになるのではないかという教育的な観点から廃止してほしくない気持ちがあるのですが、それは傍論と言って良いかもしれません。

個人的な見解を書くと、このように切れ負けは秒読み制度が抱える根本的な問題ではないかと思っています。対局中は誰でもできるだけ長い時間考えたいという自然な欲求を持っています。秒読みに入ると、出来るだけ長く考えるにはできるだけぎりぎりに着手すべきということになります。そして、ぎりぎりに着手すればうっかり時間切れになる確率も高まるわけです。

チェスで導入されている「フィッシャースタイル」では、この難点がかなり緩和されます。これは、時間切れになる前に早めに指せば、余った時間は次の手以降にくりこせるというシステムです。例えば、はじめから1手30秒のときに初手を10秒のうちに指せば次の手は50秒考えられるという調子です。この制度なら早く指し手も時間を損しないため、ぎりぎりに着手したいという欲求はそれほど生じません。指すべき手を早めに思いつけば早めに指しておけば良いわけです。

この持ち時間の使い方は、Yahoo!ゲームで経験したことのある方も多いと思いますが、実際にやってみると時間切れのプレッシャーが少なくて私にとっては秒読みよりも快適でした。実際の対局ではザ・名人戦2のようにこの機能の搭載された対局時計を利用する必要がありますが、現在でも対局時計を利用した対局はあるので不可能ではないように思います。プロ棋士の時間感覚は秒読み制に高度に対応しているため切り替えるのはなかなか難しそうですが、一度どこかの棋戦でやってくれないかと思っています。

参考:銀河戦▲阿部隆七段△加藤一二三九段戦を振り返る

2005年5月26日に放送された第13期銀河戦Cブロック9回戦▲阿部隆七段△加藤一二三九段戦は、着手完了に関してトラブルになったことで知られています。

後手の100手目、加藤九段は55秒を読まれた直後に3七にあった先手の桂を駒台に乗せ2五にある後手の桂を3七に動かしました。しかし、そこから駒をちょんちょんと触るような手つきをし、最終的に桂を裏返して完全に手を離したのは最初に駒に手を触れてから10秒ほどあとになってからでした。この様子は上の過去記事のリンク先(http://web.archive.org/web/20050529190151/catvj.exblog.jp/m2005-05-01/#1970999も参考に)などに書かれています。

これを見た人がテレビ局にクレームがつけたため、日本将棋連盟理事会はこの対局の映像を見直して加藤一二三九段の行為が悪質な反則であったと判断し、出場停止処分を下したわけです。ちょんちょん触っているときに手が離れたため、その後駒を裏返した行為は「待った」であったという判定です。この処分があったため誤解されている方が多そうなのですが、対局中に阿部隆八段は「待った」(もしくは「二手指し」)の反則があったと主張したわけではありませんでした。実際の主張は、ちょんちょん触っている間は着手が完了しておらず時間切れになっていたというものであり、秒読みを担当した女流棋士はその主張を受け入れる形で加藤一二三九段に残っていた考慮時間を減らしました。

これが、時間切れをその場で主張して認められた一例ということになります。この対応が、対戦相手の時間切れを感じた対局者がとるべき行動として最も正しいものと言えましょう。(ただ、もし加藤九段に考慮時間が残っていなかったら、時間切れを宣告できたかどうかはかなり怪しいかもしれません。)